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「月まで行ったんなら、もういいか」ロードレース界のレジェンド・別府史之が走り抜けた“38万キロ”の旅路<特別インタビュー>
posted2021/11/23 11:02
text by
森高多美子Tamiko Moritaka
photograph by
Getty Images
レジェンドの第2章が始まる。
17年間プロとしてトップカテゴリーで走り続けてきた日本の自転車ロードレース界のレジェンド別府史之が、今季かぎりで現役生活に一区切りをつける。
「まるで人生まで終わってしまうような感じがするから」と、引退という言葉はあえて使わない。別府にとって「走る」とは生きること。プロとしてのキャリアは終えても、次の目標に向かってすでに走り出しているという別府にとって、これは終わりではなく第2章の始まりなのだ。
グランツールなど世界の主要レースをすべて完走
高校卒業とともにフランスに渡った別府は、現地のアマチュアレースで次々と好成績を残し、2005年、当時もっとも強くて華やかだったチーム、ディスカバリーチャンネルでプロ生活をスタートする。その後移籍したスキル・シマノで2009年にはツール・ド・フランスに初出場。別チームながら同じく初出場した新城幸也とともに、日本人としてはじめてツールを完走した。
ツールを含め世界三大レースといわれるジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャ、さらにモニュメントと呼ばれる歴史的にも別格の5つのレースを別府はいずれも完走している。日本代表としては8度の世界選手権、2度のオリンピックを完走。三大レース、モニュメント、世界選手権、オリンピック、これらすべてを完走した選手は、現在1100人ほどいる現役のトッププロの中でも11人しかいない。
そんな別府のプロ生活の終了は、世界最大級の自転車ニュースサイトでもいち早く取り上げられた。別府はまさにロードレース界のレジェンドなのだ。
別府がレースを始めたのは9歳の頃。自転車レースを趣味としていた父と2人の兄に連れられて参加したのが始まりだ。高学年の子に交じって走ったデビュー戦は、当たり前のように惨敗だった。「まだ小さいから」とか「自転車が違うから」と慰めても別府少年は納得しなかった。ただ、彼が非凡だったのは負けてへそを曲げて投げ出すのではなく、その悔しさを次へのモチベーションにしたところだ。
どうすれば勝てるのか。立ちはだかる大きな壁を前にして工夫と努力を重ね、やがて打ち破る。打ち破ってはまたその先の新たな目標に向かい、そして壁に跳ね返されてはそのつど攻略法を考え、また挑戦する。これが別府史之の生き方だった。
高校生のときにジュニアの代表として海外で戦うチャンスを得て、互角に戦える手ごたえをつかむと、当然のように本場でプロになる夢を抱き、高校卒業と同時にフランスへと渡った。4歳上の兄も留学を経験しているので、多少は心得を持っていたかもしれないが、聞くと行くでは大違い。フランスでの生活は困難の連続だったはずだ。