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「月まで行ったんなら、もういいか」ロードレース界のレジェンド・別府史之が走り抜けた“38万キロ”の旅路<特別インタビュー>
text by
森高多美子Tamiko Moritaka
photograph byGetty Images
posted2021/11/23 11:02
2016年のジャパンカップ、市街地レースの「クリテリウム」部門で前年に続く連覇を達成した別府史之。世代交代のサイクルが非常に速い自転車ロードレース界で、トッププロとして長く活躍した功績はまさに“レジェンド”だ
「これからの別府史之を見ていてください」
そのひとつが、ジュニアの育成だ。ただし、それは単純に自転車選手を育てるという意味の育成ではない。
「スポーツは教育だと思う。その競技を通して、人として生きるすべを身につけられるかどうか。自転車はチーム競技だから、コミュニケーションをとりながら戦う。そこから、勝ち負けじゃないものが身につくと思う」
さらに別府は続ける。
「よく『どうすれば強くなりますか』みたいな質問されるけど、コツがあれば強くなるってもんじゃない。そこには覚悟がなきゃ。強いメンタリティを持っていないと強くなんてならない。だから、コーチになろうとは思わないんです」
覚悟がない者に何を教えても強くはならないし、覚悟は教えることができない、ということだろう。
「自転車っていうのは、覚悟がないとできない世界だから。本気でやるほどに、むずかしい。長くやってきたからこそ、簡単に『やってみて』とはいえない。ジュニアの世代に教えたいのは、勝ち負けじゃない。大事なのは人として成長すること。発言にしても礼儀にしても、スポンサーがお金を出しても恥ずかしくない選手がプロだと思う。この競技を続けるにしろやめるにしろ、そうやって培ったものは人生にとって決して無駄にならない」
かつて、プロになるまでマルセイユで過ごした3年間を、別府は学校に例えていた。プロ選手になるために必要なことだけでなく、まわりの大人たちや仲間、しのぎを削ったライバルからもたくさんのことを学び、選手である前に人間として大切なことを身につけてきたということだったのだろう。
「若い子たちには選手を続けるためにいろんな苦労をして、本物のプロになってほしい。簡単にできてしまう経験で学べることって、そんなに多くはないので」
自分がしてきたような経験をひとりでも多くのジュニアの世代にさせてやりたい。まだ子供だなんて思っていても輝ける時間は短くて、それは今しかないということを伝えたいのだ、とも。
日本だけでなく、アジア各地から子供たちを呼ぶことができたら。日本の交通事情を自転車が走りやすいように改善できたら。普及に教育に……とやりたいことがいくつもある別府は、今後の肩書を「サイクリングプロモーター」とするという。
一線を退くといっても、自転車への情熱は少しも変わっていないようだ。
「自転車を通して、人としての生き方を学んできたんだっていうことを示すためにも、自分がセカンドキャリアを成功させないと。それが、つまり今も『走ってる』ってことです」
だから、これは引退ではなく一区切りなのだ。別府にとって、プロ生活の終わりは第2章の始まりなのだ。
「レーサー別府史之でなくなるけれど、これも自分自身。ファンの皆さんには、こう言いたいですね。これからの別府史之を見ていてください。そして、別府史之を応援してください」
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。