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元引きこもりレスラー真琴が聖地・後楽園ホールで15周年大会「ほぼ満員なのに赤字」「強豪同期にフォール負け」でも手にした“ご褒美”
posted2021/11/11 11:05
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
後楽園ホールは“プロレスの聖地”とも“格闘技の聖地”とも呼ばれる。世界的に言えばラスベガスだが、日本でのボクシングの“聖地”もやはり後楽園だろう。
辰吉丈一郎がプロ4戦目で日本タイトルを獲得し、魔裟斗が全日本キックボクシング連盟からデビュー。棚橋弘至のプロレスキャリアも後楽園からスタートしている。デスマッチのカリスマ・葛西純の“バルコニーダイブ”も忘れてはいけない。MMAも含め、数えきれないほどの名勝負が展開されてきた。矢吹丈vsカーロス・リベラも付け加えておきたいところだ。
今年、女子プロレスラーの真琴は、初めての自主興行の場所として“聖地”後楽園を選んだ。デビュー15周年の記念大会だったが、それまで興行を手がけたことはない。後楽園より小さめの“手ごろ”な会場もある。なのにいきなり後楽園。やることが大胆すぎると思ったが、そもそも彼女の人生がそうなのだった。
“無気力ファイター”真琴の誕生
子供の頃から人見知り。学校で一番暗いと言われた。中学時代には引きこもりに。家でテレビを見ていて出会ったのがアメリカン・プロレスWWE。女子部門の看板選手トリッシュ・ストラタスに魅了された。
「どうやったらトリッシュさんに会えるんだろう」
考えた結果、同じ仕事をすればいいんじゃないかということになった。つまりプロレスラー。運動経験ゼロ、体力ゼロの引きこもりにも情熱はある。アイスリボンからデビューすると、あまりにも弱すぎてそこが面白いという特異な存在に。“無気力ファイター”真琴の誕生である。
ただ本人は、プロレスラーになれただけでは満足しなかった。強くて美しくてカッコいいトリッシュみたいな選手になりたかった。アイスリボンは真琴のような“元引きこもり”や小学生をデビューさせ、リングを使わないマットプロレスの大会も開催。風当たりは強く、業界内にも陰口を言う者がいた。グイグイ前に出るタイプではない真琴だが、負けん気が強くなって当然だった。
「チヤホヤしてもらいたくて開催を決意しました」
それは、フリーとして迎えたこの15周年興行も同じだ。「後楽園なんて大丈夫? お客さん入るの?」と心配されるたびに「絶対に成功させたい」という気持ちが強くなった。もちろん不安もあったが。
なにしろ会場を抑えることができた唯一の日程、11月1日は月曜日だった。一般の社会人にはなかなか仕事の予定が立てにくいタイミング。月初は忙しいという人もいるだろう。チケットの売れ行きがなかなか伸びず、眠れない時もあったと真琴は言う。
けれど、いざ大会が始まってみると客席のほとんどが埋まっていた。コロナ禍で客席数が制限されているとはいえ、他の団体と比べてもまったく見劣りしない。むしろ月曜の客入りとしては快挙と言ってもいいくらいだった。たぶんそれが、真琴が闘ってきた15年の重みというものだろう。
「15周年、全方位的にチヤホヤしてもらいたくて開催を決意しました」
イメージカラーである紫のドレスに身を包んでのオープニング挨拶からして真琴らしかった。決して正統派ではない。けれど彼女には彼女にしかない魅力があるのだ。「どの占いを見ても裏方向きと書いてある」真琴が自分で興行をやる。その決意の表し方が「チヤホヤされたい」なのだったら、それはもう全力でチヤホヤしてやろう。そういう思いでファンは集まったはずだ。