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〈引退〉新体操・皆川夏穂、15歳で本場ロシア留学→苦闘の8年間を次世代へ「3、4歳の頃から試合に向かって練習を」
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2021/11/07 11:00
エレガントな演技で観衆を魅了した新体操・皆川夏穂の“ラストダンス”
転機が訪れたのは高校1年生だった13年だ。日本の新体操は04年アテネ五輪を最後に08年北京五輪、12年ロンドン五輪と2大会連続で個人総合の出場枠を獲得できず、抜本的な改革が求められていた。
一方、09年からロシアでの合宿生活を始めていた団体総合は、ロンドン五輪で12年ぶりに決勝に進み、7位になっていた。また、ロンドン五輪では、ロシアに練習拠点を置いて強化していた韓国選手の孫延在(ソン・ヨンジェ)がアジア人最高の5位入賞を果たした。
このような流れから、日本協会は12年12月にオーディションを開き、将来性のある若手2人を13年からロシアに送り込むことを決めた。その1人が皆川だった。当時はまだ東京五輪開催は決まっていなかったが、最初から20年の五輪までをターゲットとする長期的な視野に立っての強化策だった。
17年世界選手権で表彰台に立つ快挙も…
選考基準はプロポーションやポテンシャル、柔軟性。170センチの長身で、長い手足と全身の隅々まで行き届いた表現力を持つ皆川は多くの期待を集める存在だった。
ロシアでは言葉が通じないうえに1日8時間の練習が続く過酷な日々だったが、成果は如実に表れた。初めて出場した13年世界選手権では個人総合予選36位だったが、14年には23位と順位を上げ、15年には15位となって翌年のリオデジャネイロ五輪の国別個人出場枠を獲得した。
日本勢で3大会ぶりの個人総合出場となった16年リオデジャネイロ五輪では予選16位。そして、最終ターゲットを東京五輪に定めて再びロシアでスタートした17年は、世界選手権種目別フープで日本の個人選手として42年ぶりの表彰台となる銅メダル獲得の快挙を成し遂げた。その後、世界を席巻し続けることになるロシアのアヴェリナ姉妹(ジーナが金、アリーナが銀)と並んでの表彰台は見事だった。