酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
イチロー台頭は四半世紀前、合併から16年、阪神人気に隠れ続け… 関西在住筆者が昭和から見た《近鉄・オリックス悲哀史と栄光》
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2021/10/28 17:02
2004年オリックスvs近鉄の最終戦後、胴上げされる近鉄の礒部公一選手会長(当時)。合併から16年、「オリックス・バファローズ」がパの頂点を掴んだ
エース山本由伸がしり上がりに調子を上げた。また杉本裕太郎の顔が引き締まり不動の4番になったのもこの時期からだ。内野から中堅にコンバートされた福田周平と三塁の宗佑磨は1、2番に定着。遊撃の紅林弘太郎はまだ19歳だが、意外性のある打撃で殊勲打を打った。ベテランのT-岡田もチームを支えた。さらに筆者贔屓のアダム・ジョーンズは一振りで結果を出す代打として代打安打を12本も打った。
ロッテとの長く厳しいつばぜり合いに勝って25年ぶり、イチローがいた時代以来のリーグ優勝。この競り合いの中でチームは一つになっていったのだろう。
近鉄、新旧オリックスファンのすべてをつなぐ優勝
そしておそらくは、近鉄、旧オリックス以来のわだかまりを抱えたファンたちも、ひやひやの連続のペナントレースを戦ううちに、新しいオリックスファンとともに、恩讐を越えて声援を送るようになったのではないか。
筆者は1988年、大阪球場で福岡へと去る故・杉浦忠監督の「行ってまいります」と言うメッセージを生で聞いた南海ホークスファンである。それ以後、贔屓の球団はなかったが、今年のオリックス・バファローズは、にわかファンとして応援しようと思い始めている。
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