酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
イチロー台頭は四半世紀前、合併から16年、阪神人気に隠れ続け… 関西在住筆者が昭和から見た《近鉄・オリックス悲哀史と栄光》
posted2021/10/28 17:02
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
JIJI PRESS
オリックスの25年ぶりのリーグ優勝は、観客のいない京セラドーム大阪で、マスク姿の選手が中嶋聡監督を胴上げするという珍しい形で祝うこととなった。「オリックスらしいな」と思う。
昭和の昔、関西には阪神、阪急、南海、近鉄と4つの球団がひしめいていた。親会社はすべて私鉄である。
「関西の私鉄でプロ野球チームを持ってないのは京阪電車だけや。せやから、ひらパー(ひらかたパーク)作ったんやで」
関西人はまことしやかな説を吹聴したものだ。
人気球団阪神、黄金時代があった阪急、南海に比べて近鉄は地味な存在だった。西本幸雄監督になって強い時期もあったが、色の薄い球団という印象があったのは否めない。
南海ホークスのファンは大阪球場で、近鉄の選手がエラーをすると「やった、やった、またやった、〇〇(選手名)がやった、またやった、近鉄電車ではよ帰れ」とヤジっていた。
近鉄の本拠地は藤井寺球場だったが、遠いうえに照明施設がないために大阪市内の日生球場を実質的な本拠地にしていた。森ノ宮駅から大阪城を横目に見ながら大階段を上って球場入りするのはなかなかいいものだったが、お客はなかなか入らなかった。ヤジが選手までよく通る球場だった。端的に言えば、関西では近鉄バファローズは「四男坊」という印象だったのだ。
「10.19」で存在感を少しは増すかと思ったが
1988年10月、南海ホークスがダイエーに身売りされ福岡に去り、阪急ブレーブスがオリックス・ブルーウェーブと名前を変えて大きくイメージチェンジする。その一方で、「10.19」で全国を感動させた近鉄バファローズの存在感は、少しは増すかと思ったが、そうはならなかった。1985年の優勝以来、阪神タイガースが爆発的な人気となり、チームは低迷しようとも「関西言うたら阪神と吉本や!」という空気になっていったのだ。
オリックス・ブルーウェーブは1994年、イチローがシーズン210安打の破天荒な記録とともに一大ブームを巻き起こした。神戸市須磨区の本拠地グリーンスタジアム(現ほっともっとフィールド神戸)は、アクセスが良いとはお世辞にも言えないが、多くの観客が詰めかけた。
このスタジアムで飲むビールは格別で、右翼のイチローが糸を引くような送球で三塁走者を刺すのを見て、ビールの酔いもあって陶然となったものだ。
イチローはMLBに去り、北川の劇的優勝弾も……
しかしイチローは2000年限りでMLBに去っていった。