濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「対人恐怖症」「引きこもり」だった少女がプロレスと出会い、リングで輝く“強くて綺麗なお姉さん”になるまで《真琴15周年特別グラビア》
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/10/27 11:01
“元引きこもり”からプロレスを志したのち、多くの団体を渡り歩き今年15周年を迎えたプロレスラーの真琴
そもそもTシャツやジャージといった練習着すらもっていなかった。最初の練習は「動きやすい格好で」と言われてカットソーとクロップドパンツ。スカートよりマシなのはそれしかなかった。さくらからは、毎日自炊して写真を送るようにと言われた。きちんとした生活をするようにということなのか。単純にもっと食べろということだったのかもしれない。
「背は高いほうでもガリガリだったので。お茶漬けしか食べないみたいな生活だったんです」
「マットの上でも人見知り」
聞けば聞くほどスポーツには向いていないのだった。ところがデビューすると真琴の試合は面白かった。マットの上でも人見知りというのか、闘志が感じられないへなへなっぷりが逆に唯一無二。“無気力ファイター”の誕生だ。デビュー戦は16歳で迎え、9歳のキッズレスラー・りほに敗れた。いま女子のトップ選手になっている里歩だ。
子供にすら勝てなかったわけだが、いま思うと相手が里歩なら仕方ないような気もする。「りほちゃんは当時から運動神経もいいし気が強くて。天才でしたね」と真琴。
それでも負けっぱなしでは終わりたくなかった。“無気力ファイター”のコミカルさを極めるという方向性もあったはずだが、本人がそれをよしとしなかったのだ。「私はトリッシュみたいになりたかったのに。こんなはずじゃない」と思った。デビュー1年余りでようやく初勝利。観客はスタンディングオベーションで祝福してくれた。いよいよプロレスから離れられなくなった。
アイスリボン、NEO、SMASH…様々な団体で成長した15年
力をつけるには練習するしかない。真琴は井上京子たちの団体NEOに出稽古。そこには「大好きな」三田英津子もいた。TAJIRIとの対戦をきっかけに、彼の団体SMASHでも練習するようになった。TAJIRIは元WWE。引きこもり時代にテレビで見ていた憧れの存在だ。SMASHでTAJIRIから学ぶことに興奮し「はしゃぎすぎてしまった」と真琴。さくらからは「腕立て伏せが100回できるまでSMASHでの練習禁止」を言い渡される。それも観客の前で腕立て伏せをやらされた。本人はそれを嫌がらせのように感じた。アイスリボンに居場所がなくなったという思いだった。
2011年8月、SMASHへの移籍を発表。TAJIRIの元でWWEを目指したいという思いもあってのことだった。SMASHは男女合同の団体。現スターダムの朱里も所属していた。TAJIRI、AKIRA、大原はじめといった実力者から教えを受け、真琴はさらに磨かれていく。男子との練習では何をするにもパワーがいる。必要に迫られ、体も自然に大きくなっていった。