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「目から鱗でした」常勝チームを築いたNECブルーロケッツが“未知の戦術”《リードブロック》を迷いなく導入できたワケ 

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市川忍

市川忍Shinobu Ichikawa

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posted2021/10/15 11:03

「目から鱗でした」常勝チームを築いたNECブルーロケッツが“未知の戦術”《リードブロック》を迷いなく導入できたワケ<Number Web> photograph by KYODO

第25回日本リーグで優勝したNECブルーロケッツ。リードブロックシステムがチームを変えた

 寺廻は監督を務めた8年間でNEC男子を3度のリーグ制覇と、4度の全日本選手権優勝に導いた。日本リーグおよびVリーグでの手腕を買われ1996年、アトランタオリンピックの直後、全日本代表の監督に抜擢される。そして、全日本男子チームにもリードブロックシステムが取り入れられることとなる。

「リードブロックシステムに必要なステップの方法や目の配り方、手の出し方はブロックの基本中の基本なんです。変な癖がついてしまう前に、なるべく早い段階で覚えたほうがいいと、今でも私は思っています。現在はバレーボール教室で高校生や中学生を指導する機会もありますが、その基礎の部分はこれまで30年間、変わらずに指導し続けていることですね。ステップや跳び方、目の配り方などは、バレーボールを始めたときに真っ先に習うべきだと感じています」(寺廻)

 PFUブルーキャッツのGMを務める現在でも、バレーボール教室に赴く際は、ブロックの基礎を普及させようと日々、指導に尽力している。

 30年ほど前に日本に入ってきたリードブロックは、その後、さまざまな国で取り入れられており、特に世界ランキング上位に台頭するためには必須の戦術となってきた。

「日本ではNECが最初に取り入れることになりましたが、私じゃなくても誰かが間違いなく日本で試したはず。それくらい世界の主流となるべき考え抜かれたシステムでした」(寺廻)

 その後、リードブロックシステムに対抗しようとブラジルチームがシンクロ攻撃を発案した。シンクロ攻撃を封じるために、データを重視し、ブロックに跳ぶ位置をあらかじめ決めるスプリット、デディケードなど、バンチリードブロックシステムから派生したシステムを使うチームも増えた。

 バレーボールの戦術は日々進化し、新しい解釈もどんどん生まれている。

【次ページ】 未知の戦術を迷うなく取り入れた勇気

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