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偉大な安打製造機・青木宣親39歳《生涯打率1位から陥落危機》をしのげるか ヤクルト大先輩・若松勉のような粘りを 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byHideki Sugiyama

posted2021/10/05 11:01

偉大な安打製造機・青木宣親39歳《生涯打率1位から陥落危機》をしのげるか ヤクルト大先輩・若松勉のような粘りを<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

早稲田大学で鍛えた基礎をベースに、プロで大きく花開いた青木宣親。ぜひ生涯通算打率1位を死守してほしい

 175cm80kgの小さな体で、NPBでは唯一の「シーズン200安打2回」を記録し、首位打者3回、最多安打2回。さらにMLBでも規定打席に3回も到達し、松井秀喜の.282を上回る.285の通算打率を残したことは、球史でも特筆に値するのだから。

かつての「背番号1」若松も39歳以降すごかった

 しかしながら、筆者はここにこだわってほしい気もする。実は青木のすぐ身近にいる大先輩が、最晩年になって驚異的な踏ん張りを見せたという前例があるのだ。

 今のヤクルトの背番号1は、山田哲人だが、その前は青木宣親、そして岩村明憲、池山隆寛を挟んで3代前の背番号1が若松勉だ。同じ左打の外野手、168cm76kgの小さな体で首位打者2回、最多安打1回、MVP1回、2009年には野球殿堂入りしている。

 若松は1980年に打数4000に達し、通算打率.32574。張本勲の.31916を抜いて通算打率1位に躍り出た(張本は81年に引退)。しかし1985年にはリーが打数4000に達して.32318。この年.32181の若松を抜いて1位になった。若松は翌1986年には打率.275と不振で、通算打率も.318992に。数字が動かない張本にも抜かれ3位となった。

 若松はこの年、今の青木と同じ39歳。ここから打率を落としていくのかと思われたが、その後の2年間で驚異的な粘りを見せたのだ。カッコ内はそのシーズンの打率である。

1986年
1.リー .32404 / 4555打 1476安(.331)
2.張本勲 .319160 / 9666打3085安
3.若松勉 .318992 / 6624打2113安(.275)
1987年
1.リー .320024 / 4934打1579安(.272)この年で引退
2.若松勉 .319588 / 6693打2139安(.377)
3.張本勲 .319160 / 9666打3085安
1988年
1.リー .320024 / 4934打1579安
2.若松勉 .31987 / 6759打2162安(.348)
3.張本勲 .319160 / 9666打3085安

 1987年、40歳の若松は代打の切り札として.377(69打26安)の驚異的な打率を残し、通算打率を5毛上げて張本を抜いて通算2位となった。翌年も.348(66打23安)と高打率を残して今度はリーに3毛7糸まで肉薄したのだ。

長年鍛えた打撃術は錆びつくどころか

 残念ながら最終年は.224と打率が落ちて、若松の最終打率は.319183(6808打2173安)で終わったが、不惑を過ぎての最晩年の若松は見事の一語だった。すでに常時出場する体力はなく、外野守備も難しかったが、長年鍛えた打撃術は錆びつくことなく、冴えわたったのだ。

 筆者は毎年、沖縄県浦添市のヤクルトキャンプに行くが、若松勉さんの姿をよく見かける。70歳を過ぎた今は穏やかな表情で、青木や山田や村上などの後輩を見つめているが、キャリア最晩年の若松さんは本当にすごかったのだ。

 青木宣親にはあと194本に迫ったNPB単独での2000安打という大記録もある(日米通算では2580安打)。チームの2015年以来の優勝が迫る中、記録に拘泥する気はないとは思うが、大先輩・若松勉に倣い、通算打率をひとつの励みとして、最晩年の輝きを増してほしいと思うのだ。

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