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馴れ初めはシドニー五輪…40歳フェデラーが“最強の愛妻家”になるまで「僕の妻です。うん、響きがいいね(笑)」
posted2021/08/08 11:03
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph by
Getty Images
戦い続けるテニス界のレジェンド、スポーツ界の帝王……どんなおおげさな称号を並べても言葉だけ浮くことがないのは、その実績と品格の証だろう。ロジャー・フェデラーが8月8日、40歳になる。その日付はこだわり続けるラッキーナンバー『8』の所以だから、ファンなら一度聞けば忘れようがない。
「オリンピックにはたくさんのすばらしい思い出がある」
先月のウィンブルドンでは準々決勝でポーランドの世界ランク18位フベルト・フルカチュに完敗し、昨年手術をした右膝のケガの悪化を理由に東京五輪を断念した。シドニーで始まったフェデラーのオリンピック・キャリアは、銀メダルを獲得したロンドンを最後に、5大会目を迎えることなくこのまま幕を閉じる可能性が濃厚だ。
あのフェデラーがオリンピックのシングルスで金メダルを獲得できなかったことは皮肉だが、だからこそ、スタン・バブリンカとのダブルスで金メダルを獲得した北京五輪でのはしゃぎっぷりが鮮烈な記憶になっているのかもしれない。アテネ、北京と2大会でスイスの旗手を務めた姿も印象深い。
今回と同じく膝のケガでリオを欠場したあと、東京でプレーする可能性について聞かれたフェデラーはこう答えている。
「北京でのダブルスの金メダルは僕にとってはすごい驚きだった。旗手を2回もさせてもらったし、シドニーでは美しい妻と出会うことができた。オリンピックにはたくさんのすばらしい思い出がある」
そう、オリンピックの思い出を語るとき、フェデラーは必ず妻ミルカとの出会いを口にするのだ。
シドニー五輪での“運命的な出会い”
ミルカがミロスラバ・バブリネックの名でツアーを戦うプレーヤーだったことは、一般的にはどのくらいの人が知っているだろうか。活動期間は短かった。最高で76位までいったが、グランドスラムで戦った期間は2年あまり。引退したときはまだ24歳の若さだった。
フェデラーと、3歳年上のバブリネックが初めて親しく言葉を交わしてからロマンスに発展するまでは、全てシドニーのオリンピックで起こった出来事だったという。