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「鈴鹿がないF1はF1じゃない」ドライバーも落胆…強固な“バブル”も受け入れられず、関係者が日本GPを諦めた真相<ホンダ、最後の年に…> 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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posted2021/09/09 11:02

「鈴鹿がないF1はF1じゃない」ドライバーも落胆…強固な“バブル”も受け入れられず、関係者が日本GPを諦めた真相<ホンダ、最後の年に…><Number Web> photograph by Getty Images

2019年の日本GPはメルセデスのボッタスが勝利。ホンダはメルセデスに鈴鹿6連勝を許したまま、サーキットを去ることになる……

 それでも、鈴鹿サーキットとF1は日本の関係省庁と粘り強く交渉を続けた。現在、F1は各国を転戦するにあたり、ソーシャルバブルを常に構築し、開催国で感染を拡大させない努力を徹底している。日本GP開催時にはさらに厳しい制限を課す予定だった。

「鈴鹿サーキットは空港からホテル、そしてホテルとサーキット間もスタッフはすべてバスで輸送するという前例のない計画を立てていました。もちろんホテルもすべてF1が鈴鹿サーキットと連携して押さえた指定のホテルのみ」

 ホンダF1のマネージングディレクターを務める山本雅史が語った計画の一端は、ソーシャルバブルを徹底して守るものだった。さらにホテルには警備員を配置し、サーキットへバスで行く以外は一切外出禁止にする予定だったという。

 F1関係者は日本滞在時の自由を犠牲にしてでも、その厳しい条件を受け入れた。今年こそ鈴鹿でレースがしたかったからだ。

認められなかったビザの発給

 だが、関係省庁からはなかなかゴーサインが出なかった。そこでF1のCEOを務めるステファノ・ドメニカリは、機材の輸送の関係から8月10日となっていた日本GPの開催可否決定のリミットを17日まで延ばし、朗報を待てるよう手立てを講じた。鈴鹿サーキットのスタッフもそれに応え、盆休みを返上して16日までに可能な限りの書類をすべて用意し、休み明けからスポーツ庁など関係部署と交渉を始めた。だが、返事がないまま期限の17日を迎えた鈴鹿とF1側は、長い議論の末に自ら断念するという結論に至ったのである。

 18年からホンダF1と仕事し、その前年には日本でレース活動を行なった経験もあるピエール・ガスリーはその報せを聞いて、こう語った。

「日本は僕が愛してやまない場所だし、今年はホンダにとっての最後のシーズンだから、なんとしてでも鈴鹿でレースがしたかった。だから、ヨーロッパにいてもいつも日本の状況を気にしていたんだ。中止のニュースを知ったときは、本当に悲しくなった」

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