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「先輩にもここにいてほしかった…」見延和靖(34)が明かす、絶対に“エペ団体で金メダル”を獲りたかったもう1つの理由
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byGetty Images
posted2021/09/09 11:01
金メダルという大きな目標を達成した見延和靖(34歳)
見延にとって西田は法政大、NEXUSの先輩であると同時に「エペでも日本人が勝てると最初に教えてくれた存在」だと語る。西田の姿を見て、剣を扱う技術だけでなくフットワークの重要性を思い知らされた。2人で世界を転戦したこともある西田と共に、“チーム”で金メダルを獲る。それが見延が掲げた東京五輪での目標だった。
しかし、本来なら本番が行われるはずだった20年3月、西田の息子に病気が判明した。治療を含めた日常生活を自分でコントロールできる年齢になるまでは親として手助けしなければならない。西田はコーチを辞め、帰郷することになった。
明るく見送ろうとエペ団体の選手が集まる中、見延が最初に泣き出した。
「絶対金メダルを獲ります。頑張ります」
自分のため以上に、これまでの歴史を築き、支えてくれた先輩のためにも。五輪で勝ちたい理由がまた1つ増えていた。
苦戦したアメリカ「負ける気がしなかった」
世界ランク8位の日本にとって、初戦のアメリカこそ10位だが、勝てば世界ランク1位のフランスというトーナメント表は決して楽な組み合わせではなかったはずだ。しかし、見延はそれを見た瞬間、“予感”がしたと回想する。
「アメリカに負けることはないと思っていましたが、初戦は緊張も、独特な空気感もある。でもここを勝てば行ける、と思ったんです。みんなも『結構いいですよね』って。予想通り、アメリカ戦は苦戦しましたが、点差が開いても不思議と負ける気がしなかった。どれだけ点差が開いても、いつか逆転できるチャンスが回ってくる、と落ち着いていました」
初戦で悪い流れを断ち切ったのは、3巡目で見延に代わってピストに立った宇山だった。22-28から7点を上げて2点差まで迫ると、最後は加納が16点をもぎ取って45-39と逆転勝利を収めた。
続くフランス戦も44-44までもつれ、最後は1本勝負となったが、「あれだけ攻め続けていたのに、最後は(相手の攻撃を)守ってから突く。そこは守るのかよ、と驚いた」と見延が笑いながら振り返る加納の劇的な勝利で準決勝進出。次第に「予感」は「確信」へと変わっていき、韓国とROCを振り切って見事、有言実行の金メダルを獲得した。
「先輩にもここにいてほしかった」
東京五輪では一度交代した選手は再び出場することができないルールだったため、初戦のアメリカ戦で途中交代した見延はそれ以降、ピストに立つことがなかった。それでもユニフォーム姿のまま、ベンチで一緒に戦った。点を取ればすぐに立ち上がり、3選手には「声を出すと疲れるから声は出すな。その分俺が声を出すから」とエールを送り続けた。
「誰が出ても勝てる」と言われるほどのメンバーをそろえたチームで、最後までリーダーとして戦い抜いた見延。西田はそんな頼もしい後輩に「自分がすべき役割を果たしてくれた」と感謝を述べる。
「『おめでとう』とLINEしました。忙しいだろうから返信はいいよ、と送ったら、見延から『先輩にもここにいてほしかったです』と。優勝した瞬間から3日ぐらい泣きっぱなしだったんですけど、見延の返事を見て、また泣けました(笑)」