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「先輩にもここにいてほしかった…」見延和靖(34)が明かす、絶対に“エペ団体で金メダル”を獲りたかったもう1つの理由
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byGetty Images
posted2021/09/09 11:01
金メダルという大きな目標を達成した見延和靖(34歳)
「フェンシングは指先で剣を操作するので、指先の感覚がものすごく重要なんです。爪の長さが1~2mm変わるだけで感覚が変わってしまうので、試合から逆算して何日前に爪を切るか、と考えるのが普通なのですが、ある大会で同部屋になった時、宇山選手が試合前日の夜中に暗くなった部屋でパチパチ切り出して(笑)。『え? 今、爪切ってんの?』と聞いたら『握力がありすぎると相手の剣に反抗しちゃうから、相手をいなすためにも握力を落としたいんです』と自分の考えとは真逆の答えが返ってきた。
その発想は自分にはないと思いながらも、言われてみればそういうやり方もあるよな、と。宇山だけでなくチームメイトの行動や発想が、思わぬ突破口を見出すきっかけにもなりました」
見延が「自分の感覚ではありえない。彼は間違いなく天才」と称する山田が、相手を突くまでの絶妙な間合いをつくる天性の素質で得点を重ねる。そのリードを見延が守り、ポイントを加算してつなぐ。団体メンバー最年少の加納が強靭なメンタルと体格で勝る相手にも負けないリストを武器にアンカーを担う。そこにトリッキーなスタイルの宇山も加わった――。
世界で勝つことは驚きではなく、むしろ「当たり前」。それぞれの力が組み合わさった男子エペ団体は、18年アジア大会や19年ワールドカップでは日本史上初の金メダルを獲得するなど、東京五輪の伏線はすでに敷かれていた、いうことだ。
元コーチ西田祥吾が明かすリーダー見延
そんな姿を誰よりも近くで楽しみ、頼もしく見つめていたのが北京五輪の男子エペ代表選手で、昨年まで団体チームでコーチを務めていた西田祥吾だった。
西田が日本代表として活動していた当時は練習拠点も定まらず、海外遠征も自費で賄う時代だったという。合宿先での味気ない食事にげんなりしながら、安値のLCCを乗り継ぎ、世界各国を転戦したこともあった。ところがそこから10年もしないうちに、環境も選手の意識も変わった。大風呂敷を広げるのではなく、明確な目標として「オリンピックで金メダルを獲る」と口にできるようになった。
その中心にいたのが紛れもなく見延だった、と西田は言う。
「いくら団体があるとはいえ、フェンシングは個人戦ですから。団体の4人に入るためには個々のランキングを上げないといけないので、ぎくしゃくすることもあります。そういう時、合宿が終わった後、1回全部そういう感情もリセットする意味も含めて、見延が声をかけてみんなで食事に行く。それができるリーダーが見延でした」