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公立・長崎商が県大会から「九死に一生ばかり」でも甲子園で躍進できたワケ〈佐賀北「がばい旋風」を彷彿とさせたが…〉
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKYODO
posted2021/08/26 17:03
8月25日の夏の甲子園、長崎商-神戸国際大付にて、サヨナラ負けとなった長崎商ナイン
夏の県大会前から筋力トレーニングやティー打撃などボールを打つ練習を反復してきたことも大きいが、一番は打席での意識だ。
「コースに逆らわず、センターから逆方向に、強く低い打球を打つ」
甲子園ではどの選手もこの心得を話していたし、実戦でそれを証明してきた。
ダブルエースが抑え、打線が繋がる。だから、チームに自信が漲る。青山が断言する。
「県大会から『絶対にやれる!』という気持ちはずっとありました」
エースの城戸も、呼応するように頷く。
「1試合1試合、みんなで強くなっていけた」
「がばい旋風」を巻き起こした佐賀北にも似た歩み
やおら強敵を飲み込むほどのうねりを生む。そんな雰囲気があった長崎商に、ついあのチームを重ねてしまう。
2007年、「がばい旋風」を巻き起こし日本一となった佐賀北だ。
投手陣は左のサイドスロー・馬場将史から、エース・久保貴大への継投を貫徹。打線も繋ぎを身上とした。その佐賀北も、2回戦で格上とされた宇治山田商戦で延長15回の末に引き分け。再試合で勝利してから波に乗った。広陵との決勝戦で副島浩史が放った逆転満塁本塁打は、今でも語り草となっている。
長崎商の歩みも、佐賀北とどこか似ていた。
2回戦で春夏甲子園出場の難敵・専大松戸を退け、関西の強豪・神戸国際大付にも勝利すれば、そんな夢物語に少しは近づけたかもしれない。
でも現実は、激闘の末に敗れた。
「私学優勢」と謳われるようになって久しい高校野球で、公立校が快進撃を続ける痛快な夏は終わりを告げた。
爪痕を残した、長崎商の甲子園。
3番の大町航太が、やや恍惚な表情を浮かべながら面白いことを言っていた。
「チームが甲子園で打てたのは……見えない何かの力だと思います」
それはきっと、甲子園の女神の微笑みだ。
長崎商には、それを言う資格がある。