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〈球速差40キロ〉名門・横浜も打てなかった智弁学園エース西村王雅の“魔球”…“甲子園投手だった父”への意地も?
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2021/08/22 17:02
21日の横浜高校戦では、8回を無失点で抑えた智辯学園の西村王雅投手。最大の武器は、球速差40キロのスローカーブだ
「西村君はカーブをうまく使いながらカウントを整えてくるピッチャーなので、『来るだろうな』と読んでいました。でも、コースがよくてファウルにしかならなかった。西村君のほうが上手でした」
完全無欠のボールではない。でも、絶対に事故は起こさない。それこそが、西村のスローカーブなのである。
たとえ調子が万全でなくとも、へばっても、安心感のある遅球と信頼感を置く速球が、智弁学園のエースに息吹を与える。
対峙した横浜の村田浩明監督が、その牙城の強さを肌で感じたと、うなだれる。
「西村君はランナーを背負ってからのピッチングに強さが見えました。変化球を変幻自在に投げてこられて、対応できなかった。ピッチャーが一枚上手だったと言いますか、打ち崩す力が足りませんでした」
「いや、お父さんはあんま関係ないです」
1年生の夏から聖地のマウンドを経験する西村は、この勝利で自身、甲子園通算3勝目を挙げた。これで、平安(現・龍谷大平安)の2年生エースとして90年夏に2勝を挙げた、父・基治を超えたことになる。
目を三日月型にしながら、息子が喜ぶ。
「お父さんを目標にやってきて、追い越せたのが嬉しかった」
余談として、父も左腕でカーブが得意なピッチャーだった。もしかしたら、その影響を受けているのではないかと確認してみたが、「いや、お父さんはあんま関係ないです。自分で考えて投げています」と否定された。
それでいい。
あのスローカーブは、紛れもなく西村王雅にとって唯一無二の武器である。
マウンドからホームベースまで。18.44mにゆるやかに、鮮やかに架ける放物線。
西村最後の夏、その軌道に揺るぎなし。