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“東京五輪に出られなかったキャプテン”篠山竜青33歳が味わった絶望と本音「チビはもっと頑張らないといけなかった」
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/08/20 17:01
東京オリンピック直前で日本代表入りを逃した篠山竜青(川崎ブレイブサンダース所属)。五輪が終わった今、心境を明かした。
夕食会場では、みんなの顔が引きつっていた
そのあと待っていたのは、夕食の時間だった。食事会場でみんなと顔を合わせることになり、お互いに気まずくなる。辻はそれをわかっているから、食事会場に一緒に入ってくれることになった。
ただ、会場に着くと、みんなの表情は引きつっているように見えた。
選手たちは複数のテーブルにわかれ食事を摂るのだが、篠山は辻や竹内讓次らと同じテーブルに着いた。選考レースはその後も続き、日本に帰ってからの東北合宿が終わるタイミングで、さらに5名が外れることになっていた。篠山の落選は他の選手のメンバー入りを確約するものではなかったし、他の選手にとっても他人事ではない。深い話などできるわけもなく、時間は過ぎていった。
成田に着いた瞬間から、「一般の人」になって……
そして落選の本当の意味を思い知らされたのは、成田空港に着いてからだった。
新型コロナウィルスが猛威をふるうなかで開催された東京オリンピックでは、国外から日本に入った選手や、選手をサポートする専任のスタッフに適応される、アスリートトラックという制度が設けられた。専用車での移動をはじめとする徹底した行動管理と健康管理をして、一般の人と接触することがないバブル状態を作り出すことと引き替えに、海外渡航後の14日間の隔離期間中の試合や練習を特例として認める仕組みだ。
成田空港に着くと、日本代表チーム一行はこの制度を使い、一般の人と接することのないルートで専用のバスへ乗り込こみ、東北へ向かうことになった。
しかし、同じタイミングで代表候補から外れたアキ・チェンバースと代表のチームドクター、そして篠山の計3人には、もちろん特例は適用されない。
「誰が悪いと言うことではありませんよ。ただ、日本代表としてフィリピンに行かせてもらいましたけど、成田に着いた瞬間から一般の人と同じルートになって。その感覚が『うわぁ……メンバーから落ちるってこういうことか』と」
一般の渡航客と同じように空港で検査を受け、いくつもの書類に必要事項を記入し、複数のアプリをダウンロードして、登録作業を繰り返す。手続きは延々と続いていく。
「色々な手続きのために空港に3時間はいたんじゃないですかね。あの時間は地獄でした。そして、そこからは、一般の人とともにホテルへ連れて行かれて、3日間の隔離になるわけです」