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“東京五輪に出られなかったキャプテン”篠山竜青33歳が味わった絶望と本音「チビはもっと頑張らないといけなかった」
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/08/20 17:01
東京オリンピック直前で日本代表入りを逃した篠山竜青(川崎ブレイブサンダース所属)。五輪が終わった今、心境を明かした。
自分の処遇をめぐって、そこまで感傷的になってくれていることが嬉しく、ありがたくも感じた。
ラマスHCとともに戦ってきた4年間が走馬灯のように頭を駆け巡った。就任後初の公式戦となった2017年8月のアジアカップのレバノン大会。初戦の日に篠山の第一子が生まれると、慶事を喜ぶと同時に日本に残してきた妻のことを誰よりも心配してくれた。ラマスが就任してからの4年弱の間、ケガをしているとき以外は、試合で起用し続けてもらっていた。
ラマス就任の前年、27歳にしてようやくA代表に初選出された篠山が代表の常連になったのは、自身の努力のおかげだ。ただ、それを評価し続けてくれたのがラマスだった。21年ぶりに自力で出場権を獲得した2019年のW杯ではスタメンで使ってもらった試合もあったし、信頼関係を築けてきたという感覚はあったから、こう伝えた。
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「コーチのおかげで、代表でのキャリアをここまで積み重ねられました」
篠山は今、こう振り返る。
「あの瞬間は、実は、肩の荷が下りたような感覚があったんですよ。気持ちが楽になったからのか、喪失感からなのかはわからなかったですけど」
代表として戦ってきた「誇り」と、落選の「悔しさ」
「楽になった」というのは、こういうことだ。
「これまでも言い続けてきましたけど、『自分は当確メンバーだ』という意識を持ったことはなかったから。むしろ、『ここまでよくしがみついて残ったな』という感覚もあって……。
一人の選手としてわかりやすい武器がないことについて、自分のなかではコンプレックスがあるんです。だから、自己評価もあまり高くなくて。自分より背が高い選手、スピードがある選手、アジリティーがあって若いPGもたくさんいる中で、4年にわたって選び続けてもらい、キャプテンも任せてもらった。それ自体は誇りに思えたんですよね。だから、『よく頑張ってきたな』という感想が初めにきました」
でも――。
「悔しい気持ちと、この状況に腹が立つ気持ちと、そこからは色々と出てきて……」
そこから先は、大きな波が引いていくときのように、心が遠いところへ引っ張られそうになった。