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〈ボクシング銅メダル〉田中亮明の栄光の裏に高校時代の“モンスター”井上尚弥との激戦があった…直接対決“4戦4敗”が生んだ成長
posted2021/08/08 11:25
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph by
Naoya Sanuki/JMPA
東京オリンピックのボクシング男子フライ級で田中亮明(中京高教員)が銅メダルを獲得した。田中はプロボクシングで世界3階級制覇を達成した恒成(畑中)の兄であり、今をときめくバンタム級2団体世界王者、世界の“モンスター”こと井上尚弥(大橋)と高校時代は4度の対戦経験を持つ。かつて井上の背中を追いかけ、オリンピックでメダルを勝ち得た田中の足跡を、井上と照らし合わせながら紹介してみたい。
追い続けた“モンスター”井上尚弥の背中
田中亮明が初めて格闘技に親しんだのは5歳のときで、父の斉さん、弟の恒成とともに空手を始めた。中学に入学すると同時にボクシングに転向、地元のボクシングジムに通い始める。のちにその名を世界に轟かす井上の存在を知ったのは高校1年生の夏に出場したインターハイだった。
どうやら同じ1年生にすごい選手がいるらしい――。
井上はこの時点で関係者の間では評判の選手だった。同じ階級にエントリーした田中は初戦敗退。井上は決勝まで進み、のちにWBC世界ライト・フライ級チャンピオンとなる3年生の寺地拳四朗(BMB)を圧倒して優勝した。
田中が井上と初めて対戦したのは2年生に上がる直前に開かれた高校選抜の準々決勝である。田中の持ち味は強気の姿勢を崩さない積極的なボクシング。アマチュアというよりはプロのような闘いぶりで井上に向かっていったが、結果は技術で上回る井上に圧倒され、3回RSC負けだった。
以来、田中は井上をターゲットに定め、この同学年に存在する希代の逸材の背中を追うようになる。「井上と別の階級にすれば優勝できるんじゃないか」という声もあった。親切で言ってくれたのかもしれないが聞く耳は持たなかった。強い選手から逃げるという発想自体、田中にはなかったのだろう。
高校2年生のインターハイ2回戦で実現した2度目の対戦は2-6の判定負け。その数ヶ月後、3度目の対戦となった国体決勝ではさらに競り合った。終盤に一度は6-6に追いつきながら、ローブローの反則で2点減点されての4-6判定負けである。井上の背中はもう手が届くところまできていた。
そして翌年、結果的に最後となる4度目の対戦が高校3年生のインターハイ決勝で実現する。田中は意気込んでリングに上がったもののポイント2-12で大敗。ターゲットに定めた井上は自分よりもはるかに成長していた。
しかし、スーパーホープの井上に勝つという具体的な目標は田中というボクサーの幹を太くしたと言えるだろう。2カ月後の国体で自身初の全国優勝。井上は世界選手権に出場するためこの大会を欠場していたとはいえ、田中は自分の努力が間違っていなかったことを知った。