オリンピックPRESSBACK NUMBER
選手村のある埋立地「晴海」、(タワマン以外に)何がある? 鉄道駅がないのにナゾの“廃線”を見つけた話《東京五輪》
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byMasashi Soiri
posted2021/07/22 17:02
東京・晴海の選手村。晴海には選手村・タワマン以外に何があるのか?
貨物輸送は鉄道からトラックの時代となり、東京都港湾局専用線は1989年をもって廃止。逆にお客を乗せる鉄道がないことがハンデとなって、1996年に晴海見本市会場が臨海副都心に移転してしまう。現在の東京ビッグサイトである。この背景には、同年に世界都市博覧会を臨海副都心で開催する予定だったことがある。結局、都市博は青島幸男都知事の鶴の一声(というか選挙公約)で中止されてしまったが、つまりは晴海は市庁舎移転・万博に次ぐ3度めの“計画倒れ”に翻弄されたのであった。移転した見本市会場の跡地が、エントツの目立つ中央清掃工場である。
まだまだ翻弄の歴史は続く。今大会のひとつまえ、リオで行われた2016年の夏季オリンピックには東京も立候補していたことを覚えているだろうか。その時のメインスタジアムに予定されていたのが、晴海である。結局、招致には失敗してスタジアム計画も幻に終わった。晴海にとっては“4度目”の計画倒れ。月島・勝どきに次いで比較的早い時期に生まれた埋立地なのに、まったくのびのびと発展してきたわけではない、悲哀に満ちた晴海の歩みなのである。
ただ、この間の90年代末には晴海団地の再開発が行われて晴海トリトンスクエアが誕生したり、最近になっては埠頭バースの跡地にこれまたタワーマンションができたりと、かつての工業の街からタワマンの街へと性質は変わっていた。そうした中で、今回のオリンピックの選手村に晴海が決まる。
ADVERTISEMENT
1年延期に開催中止論と、なかなか順調とはいかなかったが、とうとうオリンピック開催までこぎつけた。5度目にして、ついに晴海は“計画通り”に大イベントの舞台となった。その晴海に選手村を置いたオリンピック。いろいろ意見はあろうが、少なくとも晴海にとっては島が生まれた90年前からの“本願成就”なのかもしれない。汐風の中、夏の日の午後を楽しむタワマンの住民たちは、そんな歴史の中に暮らしているのだ。
(写真=鼠入昌史)