海外サッカーPRESSBACK NUMBER
アイドルはマルディーニとロベルト・カルロス…“長髪”ソリンが語るサイドバック論、飛躍は「マテ茶」のおかげ?
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byREUTERS/AFLO
posted2021/07/14 11:01
母国含めて7カ国でプレーし、アルゼンチン代表としてもW杯に2度出場するなど、輝かしいキャリアを積んだファン・パブロ・ソリン
――ちなみにスペインの場合は?
戦術的な要素もあるが、イタリアのような緻密な戦術理解は求められなかった。その一方で、より細かい技術は要求されたよ。たとえばキックの蹴り方や回転、トラップの際の置き位置、あとはパスの強度やシチュエーションによって強弱を使い分けるなどのね。ただ、スペインもサイドバックの攻撃参加を好む風潮が色濃かったよ。
ちなみに私のキャリアで唯一の後悔は、プレミアリーグでやれなかったことだ。上下動の頻度が多く、ダイナミックなスタイルのリーグなので私のプレースタイルに合致していたと思うんだ。
――あなたの話を聞くと、サイドバックの選手がいろいろな国でプレーを重ねることの難しさの一端を理解できる気がします。
言語の問題や、生活習慣の違いに食生活。ポジションを問わず、環境を変えることはどんな選手にとっても難しいことだ。現代のサイドバックの選手は、そこに戦術的な理解が求められるし、その移り変わるサイクルも早い。特に言語圏が違う国でその変化に適応していくには、大変な労力が必要でもある。
キャリアのスタートは5部相当
――「適応」のための方法論のようなものがあれば教えて下さい。
1994年のW杯時、当時18歳の私は5部相当のチームでプレーしていた。ただ、自分が代表に入ったらどんなプレーをするか、ということをイメージして観ていた。マラドーナからのパスをこう受け取ろう、という風にね。マルディーニのプレースタイルを模倣するイメージを持ち練習をしていた。そこからわずか1年で1部リーグの舞台でデビューし、7試合のみ出場した後、トントン拍子に代表にまで選ばれた。
この経験から言えるのは、常に自分がより大きな舞台にたってプレーするイメージを持ち続けることが重要だということだ。そして、その国々の文化に頭も心も開くこと。開放的な気持ちで、全てを受け入れることが重要なんだ。言語も食べ物も、全て積極的に自ら取り入れる。
あとは毎朝必ずマテ茶を飲むという、自分なりのリラックス方法を持っていたよ。異国の地で家に帰る際、友人や家族からの連絡や手紙を貰っていたことも心の支えとなった。
今は時代が変わり、簡単にSNSで発信ができ、テクノロジーの力で人と連絡がとれるが、サッカー選手はそこに依存して欲しくないとも個人的には思う。そういった自分なりのルールや決まりごとを作り、それぞれの国の文化にミックスさせていくという作業は大切にしていたんだ。
――ありがとうございました。
(取材協力・ワカタケ)
【前回はこちら】#1 メッシの代表デビュー戦は1分で「一発レッド」元主将ソリンが語る若き日のレオ「あの時の様子は忘れられないね」
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。