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アズーリは53年分の“EUROの呪縛”を解き放てるか…御大ゾフが「チームがひとつになるだけでは不十分」と語ったワケ
posted2021/07/11 11:02
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Getty Images
ワールドカップを4度も制したイタリア代表が、なぜEUROのタイトルとは縁遠いのか。アズーリが欧州王者になったのは、地元開催だった1968年大会の一度きりだ。
それから53年、イタリアは2度ファイナルに進み、2度とも涙を飲んでいる。
EUROの呪縛か……と嘆く前に、当時の呼称に倣って第3回UEFA欧州選手権の記録と記憶を掘り起こしてみたい。
ソ連戦の勝敗を決したのはコイントス
1968年の初夏、アズーリはいかにして栄冠を勝ち取ったのか。
「開始10分でまずいことになった。最悪だ」
アズーリの右ウイングだったアンジェロ・ドメンギーニは、ソ連との準決勝を回想する。 代表の中心選手の1人であるジャンニ・リベラが、試合開始早々に負傷したのだ。
翌69年にバロンドールを受賞するほどの名手リベラの代役はおらず、イタリアは試合時間のほとんどを劣勢で過ごした。
ナポリの「サンパオロ」のスコアボードは、120分間を戦っても0-0のままだった。
当時のルールにPK戦は規定されていない。勝敗を決するのは“コイントス”だった。
選手たちはロッカールームへと下がり、両チームの主将2人と主審が、審判控室にUEFA役員とともに入っていった。
アズーリの主将ジャチント・ファッケッティが、両腕を上げて出てきた。固唾を呑んで結果を待っていた9万人の大観衆の前にボールボーイたちが飛び出して吉報を伝えると、スタジアムは大歓声に沸いた。
当然のように、敗れたソ連や他の国々からは「八百長だ」「イカサマ硬貨だ」と散々な言われようだったが、半世紀が過ぎた今でも当時の代表メンバーたちは「馬鹿馬鹿しい」と口を揃えて一笑に付すのみだ。
決勝の相手は、「欧州のブラジル」と呼ばれた強豪ユーゴスラビアだった。
ユーゴはフィレンツェで行われていたもう一つの準決勝でイングランドを1-0で下し、勝ち上がってきた。2年前の66年W杯で優勝した、ボビー・チャールトンを擁するイングランドですら敵わなかった。
この大会からアズーリの正守護神となったディノ・ゾフは言った。
「ソ連は15カ国、ユーゴスラビアは6カ国からなる連邦国家だった。それだけ選りすぐりの精鋭たちが揃っていた」