酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
大島康徳は昭和野球史を彩った「ノンブランドの名選手」 通算2204安打に本塁打王、44歳まで現役、忖度なき好解説
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKazuhito Yamada
posted2021/07/07 06:00
中日時代、落合博満らとアップに励む大島康徳。昭和を彩った偉大な名打者だった
1979年には最多安打(当時はタイトルではない)、1983年には同期の山本浩二とともに本塁打王などリーグ屈指の強打者になったが、ベストナインには選ばれていない。それは、大島が主力になってからも三塁、一塁、外野と度々ポジションが変わったからだろう。
ベストナインの投票権を持つ新聞記者は、数字だけを見て投票するわけではない。記憶に残るイメージ、インパクトも加味する。
掛布、王の成績を上回った年もあったが
1977年でいえば、三塁手。大島康徳(27本塁打71打点、打率.333)は、阪神の掛布雅之(23本塁打69打点、打率.331)をすべて上回っていた。1979年も一塁手・大島康徳(36本塁打103打点、打率.317)は、巨人の王貞治(33本塁打81打点、打率.285)を大きく上回っていた。
しかし記者にとってはセ・リーグの三塁手は、長嶋茂雄から掛布雅之であり、一塁手は王貞治だったのだ。このあたり「ノンブランドの悲哀」を感じてしまう。
44歳での引退、実働24年は史上8位タイ
1988年、37歳の年に日本ハムに移籍。大きな期待感はなかったが、移籍から2年連続で全試合出場。田中幸雄、田村藤夫など日本ハムの若手野手人の中で「重し」となっていたと思う。
1994年、44歳で引退。プロ入りから数えて26年、実働24年。これは石井琢朗と並ぶ史上8位タイ、1968年ドラフト組では最後まで野球をした。
当時としては大柄な体格で、軽く足を上げて薙ぎ払うようにスイングする。いかにもスラッガーらしい豪快なフォームだった。
引退後は解説者を経て日本ハムの監督に。北海道に移る直前で、過渡期のチームだったが3位、6位、5位で終わった。
野球殿堂入り表彰では、競技者部門に2009年からノミネートされたが、2013年の85票が最多。この年の当選ライン243票には遠く及ばなかった。2015年にはエキスパート部門に名前が載ったが4票。当選ラインの81票に全く届かずこの年限りで消えた。