テニスPRESSBACK NUMBER
「できれば続けたかった」25年前のウィンブルドン、“部活出身”25歳の伊達公子が女王グラフを追い込んだ日
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2021/07/04 11:01
ちょうど25年前、25歳の伊達公子はウィンブルドンのセンターコートで絶対女王グラフを追い込んだ
グラフの要求が強引だったとはいいきれない。時刻は午後8時56分。第2セットの終盤にはレフェリーも日没状況を確認しに来ており、1セットの所要時間を少なくとも30分と想定すれば、そこでストップするのが無難だった。しかし、あのときもし形勢が逆で、女王グラフが「やれるところまでやりましょう」と提案したとしたら、どういう決断になったのだろうか。グラフはさっさと荷物をまとめにかかり、伊達は少し遅れてベンチに戻った。
翌日のコート入りは11時。NHKが急遽、夜7時のニュースに代えてこの最終セットを中継した。グラフのサービスエースで始まった試合は、第5ゲームまで両者サービスキープで進んだが、伊達サービスの第6ゲーム、30-30からグラフが2ポイント連取でブレークに成功。前日よりもサーブが良かったというグラフに対し、伊達はブレークバックのチャンスを見出せず、26分で決着がついた。
「あのまま続けていたなら勝てていたと思うか?」に……
1日目にあのまま続けていたなら勝てていたと思うか――伊達はこれまでの人生で何度その質問をされただろう。答えは試合後の記者会見からずっと一貫している。
「それは勝負だからわかりません。でもそのほうがチャンスはあったと思います。2セット戦って体が動いていたし、グラフのスピードにも慣れていたので、できれば続けたかった。彼女はナンバーワンだし、簡単には負けてくれないと思う。でももっといい試合にはなっただろうと思います」
これは会見での言葉だが、そのときは語らなかったことで、のちに伊達がこの試合を振り返るときによく話すことがある。
「試合はすべて駆け引きで、それは観客や審判も巻き込んでの話になる。そのあたりをうまくコントロールできる術も選手には必要で、勝つために大切なこと」
グラフが順延を強く訴えたことを匂わせているのはわかるが、それをむしろ肯定しているように聞こえる。しかし伊達はそんな駆け引きの世界をさらに突き進むことを拒み、この試合のわずか2カ月半後に突然引退を発表した。
今もなお、伊達公子は“アジアの女王”である
あの年、7度目のウィンブルドン優勝を果たしたグラフからセットを奪ったのは伊達だけだった。そしてのちのアジアのスターたちもウィンブルドンでは伊達を超えてはいない。今なお私たちがセンターコートに思い浮かべるアジアの女王といえば、夕闇の中でグラフを追い詰めていったあのときの伊達公子である。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。