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「できれば続けたかった」25年前のウィンブルドン、“部活出身”25歳の伊達公子が女王グラフを追い込んだ日 

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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posted2021/07/04 11:01

「できれば続けたかった」25年前のウィンブルドン、“部活出身”25歳の伊達公子が女王グラフを追い込んだ日<Number Web> photograph by Getty Images

ちょうど25年前、25歳の伊達公子はウィンブルドンのセンターコートで絶対女王グラフを追い込んだ

 地面にきわめて近い位置でボールの上がりっぱなをカウンターヒットする独特の〈ライジング打法〉は、インパクトのタイミングがきわめて難しく、相手のショットの性質やスピード、コートの状態に慣れてペースをつかむまでに一定の時間を要する。伊達がいわゆるスロースターターであった所以だが、ひとたびリズムをつかんで低軌道のフラットなショットを自在にコントロールし始めれば、その厄介さは対戦した選手なら誰でも知っていた。

 その年も準々決勝までの5試合のうち4つが逆転勝ちだった。それはもう予定調和のようなもので、過去6勝1敗と大きく勝ち越していたグラフも十分に警戒していたはずだ。伊達がグラフを7-6、3-6、12-10の死闘の末に破り、ひいては日本がドイツを破ったフェドカップ――〈有明の奇跡〉はわずか2カ月前のことだった。あの試合、伊達は第1セットを0-5からひっくり返したのだ。

 芝での対戦は初めてとなるこの準決勝の前、グラフは直近の敗戦の影を振り払うように「キミコのプレーは芝には適さない」と言い放ったが、それは間違いだった。滑るようにバウンドして相手側へ食い込んでいく伊達のフラットなショットは、球足の速い芝ではより効果を発揮する。伊達自身ものちに「私が芝を好きなわけじゃない。相手が芝で私のボールを嫌がるんです」と話したことがある。

 あとは、芝でのグラフのショットのスピードとパワーに慣れるまでにどれくらい時間を要するか、だった。第1セットを2-6で失い、第2セットも0-2。これ以上の時間を費やすわけにはいかない。そんなタイミングで突然ターニングポイントは訪れた。すぐにブレークバックすると、そこから6ゲームを連取。一番の見どころは、9回のデュースの末にブレークした第5ゲームだった。グラフの焦りと苛立ちは試合が進むにつれて顕著になり、女王らしくないミスが増えていく。決して威力があるように見えないのに、テンポの早い伊達のショットにあのグラフが一歩も動けない。

伊達に有利な戦況で「暗くてボールがよく見えなかった」

 いよいよ最終セットという局面、伊達とグラフの動きは対照的だった。 「最後の2、3ゲームは暗くてボールがよく見えなかった」というグラフは、主審のもとへ行って翌日への順延を訴えた。一方、「私は視力がいいので全然問題なかった」という伊達は、何の疑いもないようすで次のリターンのポジションに向かっている。

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