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EURO絶好調のイタリアに“伝説のペスカーラ”(42試合90得点)を見た…ゼーマン命名「マジコ・トリオ」が躍動
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2021/06/26 17:01
3連勝でグループ突破を決めたアズーリ。快進撃の裏には、かつて同じクラブでプレーした3人の存在がある
その後の病院搬送も虚しく、モロジーニは死亡した。イタリア中のスポーツ施設にAED設置が義務付けられるようになったのは、この事故のあとだ。ペスカーラには内外から非難の声が降り注ぎ、チームは追いつめられた。
腹をくくって攻めを貫くか、退くか。
反骨の将と若人たちは、前者を選んだ。
そして、事故後初めての試合となった6日後の第36節パドバ戦で、インモービレとインシーニェがそれぞれドッピエッタ(2得点)を決め敵地で6-0の大勝を収めると、2節後のビチェンツァ戦でも彼らは再び6ゴールを叩き込んだ。
「これはもはや火星のサッカーです!」
鬼神の強さを取り戻したペスカーラは、5月12日の第40節で昇格争い最大のライバル、トリノを「アドリアティコ」に迎え撃った。このゲームが圧巻だった。
開始10分、中盤の右からベッラッティが針の穴を通す精度で30メートルのロングパスをゴール前へ通した。GKとDFが交錯する間に、インシーニェが難なく先制ゴールを陥れる。
あのゼーマンが「マジコ(=マジカル)・トリオ」と呼んだ3人は、互いのタイミングの取り方や相手の受けやすい角度といった攻撃の約束事を完璧に身体へ覚え込ませていた。
前半終了間際の46分、今度はカウンターからベッラッティのアーリークロスがインモービレへ通った。対角線に突き刺した追加点で、もはや勝負はついた。
この試合でトリノを率いていたのは、のちに史上最低のイタリア代表監督と糾弾されることになるジャンピエロ・ベントゥーラだ。
CBにはEURO2012のメンバー入りしたイタリア代表のアンジェロ・オグボンナがいて、両SBには9年後の2021年にインテルでスクデットを獲るダニーロ・ダンブロージオとマッテオ・ダルミアンの2人。そんなメンツを揃えながら、当時トリノがやっていたのはとことん堅実で現実的なサッカーだった。
「ペスカーラのサッカーは“ドン・キホーテ”だ」
うるさ型の専門家や識者からは当時、こう揶揄されていた。
それでも、リアリズム偏重を嫌い、享楽的な攻撃サッカーを愛するクラブ風土の下で、ペスカーラの選手たちはマンガのようなプレーを現実のものにしていた。
トリノ戦での36分目のことだ。
中盤右でボールを持っていたベッラッティに、マーカーが迫った。すると何を考えたかベッラッティは、間髪入れず180cmの相手の懐へ正面から突っ込んだ。
ボールをキープしたまま流れるように体ごと“相手の股間”をくぐり抜けると、勢いをつけて前転! 体勢を整え、弾けるようにファーポストめがけて鋭い高速クロスを放ち、CKを奪ってしまった。
「今の見たか?」
あまりの奇想天外プレーに、僕を含む記者席の全員が互いに顔を見合わせ、吹き出した。
場内アナウンスは「これはもはや火星のサッカーです!」と叫んでいた。スタジアム中がどっと沸いた。