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体操・白井健三は最後に笑顔で手を振った 24歳で引退の“ひねり王子”がガッツポーズで競技を終えるまで 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAFLO SPORT

posted2021/06/20 17:01

体操・白井健三は最後に笑顔で手を振った 24歳で引退の“ひねり王子”がガッツポーズで競技を終えるまで<Number Web> photograph by AFLO SPORT

6月16日、白井健三が引退会見を行った。内村航平とともに日本体操界を牽引してきた24歳の競技人生はどんなものだったのか

 会見に同席した畠田好章監督は「昔と比べて技に名前がつきやすい状況になっているという側面はある。ただ、ゆかで4回ひねりを最後に使う選手を僕はまだ見ていない。それに名前が欲しいだけなら、あと3つ4つ、発表していればシライの名前がついていたはず」と最大級の賛辞を贈る。

「これほどの選手は正直いない」

 ゆかと跳馬のスペシャリストとして団体総合に大きく貢献できる立場を確立していた白井だが、一方で早い段階から個人総合に挑む決意を固めていた。

「僕の中では13年に世界選手権に初出場した時から、個人総合をやらなければいけないと思い、ずっと6種目に触っていた」

 15年4月に日体大に進学した際のことを畠田監督はこのように言う。

「彼は高校生でゆかの世界一になって、大学に入ってきた。そういう選手はそもそもいないし、彼には大学に入る前から『オールラウンダーになりたい』という目標があった。入学する前からやるべきことを考えて入ってくる、これほどの選手は正直いない」

 歩む道を自身が決め、自身で道筋をつくっていく。それが白井の生き方だ。だからこそ、意志の強さは時に頑固な一面としても現れた。「すごく不器用で調子が良くても悪くても同じことをしなければいけないというタイプ。もう少し自分に優しくしてあげても良かったかなと思う」。この言葉の時ばかりは白井もややしんみりと自身をねぎらった。

 畠田監督も、「6種目をやることに関しては、嫌な思いも苦しい思いもしたと思う」とおもんぱかった。ゆかと跳馬は得意中の得意で、平行棒もまずまずできていたが、あん馬、つり輪、鉄棒は苦手だった。世界の金メダリストが、不得意種目の練習で苦労する姿を人前で見せることへの抵抗感は想像に難くない。それでも白井は挑み続け、17年には個人総合での世界選手権出場権を勝ち取った。

【次ページ】 オールラウンドの経験を生かし指導者へ

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