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体操・白井健三は最後に笑顔で手を振った 24歳で引退の“ひねり王子”がガッツポーズで競技を終えるまで
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO SPORT
posted2021/06/20 17:01
6月16日、白井健三が引退会見を行った。内村航平とともに日本体操界を牽引してきた24歳の競技人生はどんなものだったのか
こうして迎えた17年モントリオール世界選手権。予選の演技中に内村が負傷し、大会を途中棄権する時、すれ違いざまに白井の背中をポンと叩いたシーンは語り草だ。内村から託された思いを受け継ぎ、白井は個人総合銅メダルを獲得し、種目別ゆかと跳馬で金メダルに輝いた。さらには、同学年の萱和磨、谷川航という好敵手たちの刺激にもなり、次世代の底上げを促すことにつながった。
「けがをしたから、引退を決めたわけではない」
歯車が狂いだしたのは18年ドーハ世界選手権以降だ。採点ルールの見直しで演技の出来栄えを示すEスコアが厳格になり、今まで以上に減点されるようになったこと。19年春先の足首負傷。今春には腰も痛めた。ただ、白井は「けがをしたからとか、成績が出なくなったから引退を決めたというのではない」と言う。実際、けがを言い訳にすることはこれまでの8年間の取材で一度たりとも聞いたことがない。
畠田監督は「オールラウンドの経験が今後の指導者人生に役立つ」と期待する。「まじめでこつこつやる選手。練習しなくてもできてしまう才能のある選手。彼はその両面を知っている。教える時の幅になる。いろいろな選手に対応できる」
その考えは白井も同じだ。
「ゆかが自分の名前を売ってくれた。自分の人生をつくってくれた。それに、成績が残せるとき、残せない時を経験している」と語る。
6月6日、全日本種目別選手権決勝。白井はゆかと鉄棒に出場した。
「鉄棒で(種目別決勝に)残ったのは不思議な感じだった。ゆかはもともとできていたが、鉄棒は大学で学んだことがすべて。高校生まですごく下手で、大学に入って、車輪のひとつから教わって、離れ技もどんどん増えて、いろいろな技ができるようになっていった。昔からの自分の中のプライドと、大学に入ってからの成長、その両方を全日本種目別選手権決勝の舞台で示せた。体操人生が凝縮された1日だった」