情熱のセカンドキャリアBACK NUMBER
「不器用なレスラーの典型」元IWGPジュニアヘビー級王者・井上亘が、いま会社員として熱い眼差しを向けるものとは
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byYukio Hiraku/AFLO
posted2021/06/06 11:01
2010年、プロレスラーとして活躍していたころの井上亘
「確か9月だったと思います。受け入れてくれたというか、いつもそっと見守ってくれていましたからね。もし“首の調子、どう?”って毎日聞かれていたら、そんなによくなっていなかったらどこかでモヤモヤした気持ちをぶつけていたかもしれない。彼女なりに凄く気を遣ってくれていましたし、それが妻の優しさでした。やりたいようにやらせてもらってきたわけですから、(プロレスに対して)ある程度やり切ったなと思えました」
2014年2月をもって現役を引退。デビューの場所、後楽園ホールのリングに、スーツ姿で登場した。ファンに感謝の言葉を伝え、10カウントを聞いた。
引退という到達点を過ぎたら、また岩はスタート地点に戻る。
休んでいる暇などない。違う岩を押し上げていかなければならないのだから。
「じゃあウチで働いてみないか?」
セカンドキャリアは決まっていた。会社に引退の決意を告げた際、「じゃあウチで働いてみないか?」と打診されていた。ただ現場メーンの仕事だと、またプロレスをやりたくなってしまうかもしれない。そう思っていると会社からは広報宣伝部での打診を受けた。
「自分には何ができるだろうか。いや何もできないんじゃないだろうか」
会社に迷惑を掛けてしまうかもしれないと思ったが、有難く引き受けることにした。
「私は一つのことをやり始めると、ほかのことがまったく頭に入らないタイプなんです。なので(理系大学出身といっても)現役時代はパソコンを扱ったこともない。自分のなかにある容量を全部出さないと新しい容量が入らないんです」
現役のころは寝ても覚めても考えるのはプロレスのことばかり。掃除をしていて技を思いついたこともあった。フィニッシュホールドであるトライアングルランサーで相手を固めたまま円を描くように転がしていく“発展形”は自宅のベランダで窓拭きしているときに「頭に降りてきたんです」という。
リングを降りたら、新しい自分の仕事にやり甲斐を見つけていくだけ。