情熱のセカンドキャリアBACK NUMBER
「不器用なレスラーの典型」元IWGPジュニアヘビー級王者・井上亘が、いま会社員として熱い眼差しを向けるものとは
posted2021/06/06 11:01
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Yukio Hiraku/AFLO
井上亘がまだプロレスラーを目指していなかった大学時代、ニックネームはイノパチだった。ある日、友人からこう言われたという。
「イノパチってさ、何かシーシュポスの神話みたいだよな」
「ん? 何そのシーシュポスって」
深くは考えなかったが、どこか心に引っ掛かっていた。
フランスの小説家アルベール・カミュが記した『シーシュポスの神話』。神を欺いた罰によってシーシュポスは大きな岩を山頂に押し上げていくのだが、到達するとその岩は転げ落ちてしまう。男は再び岩を山頂に押し上げ、また岩が転げ落ちるという繰り返し。カミュの本を読みながら、シーシュポスと自分を重ねていた。
「まあ、不器用なレスラーの典型ですからね」
電気通信工学を勉強する前は、英語習得を頑張った時期もあった。何かに取り組んで自分のなかで「到達」したらまた違うことをやる。友人の目には、そう見えていた。だが裏を返せば本当にやりたいことが見つかっていないだけ。自分なりに到達すると「これは違う」と分かった。振り出しに戻るのは当然だった。
体を鍛えた先に、プロレスがあった。1年半もかかって1999年10月にデビューを果たした。
ここが一つの山頂だった。これまでと違うのは、別の岩を上げるわけではないこと。同じ岩をまた押し上げていくという難しさに直面していくことになる。入門してからある本を買っていた。シーシュポスの神話の話が登場する夢枕獏の小説『神々の山嶺』を、何かあれば読み返していた。
「まあ、不器用なレスラーの典型ですからね」
リモート越しの井上はそう言って苦笑いを浮かべる。
2001年からはジュニアヘビー級戦線に殴り込みを掛けたものの、なかなか弾けられない。それでもテンション高く、ストレートにぶつかっていく自分のスタイルを積み上げていくしかなかった。
ノアの日本武道館大会に獣神サンダー・ライガーと乗り込んだ
ただ、それだけでは足りないことも分かっていた。