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プロ野球で続出中「引き分け」名勝負ベスト5 史上最長はノムさんの猛抗議で6時間26分…では史上最多イニングは何回?
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph bySankei Shimbun
posted2021/05/26 17:01
幻となる八木裕のサヨナラホームランに喜ぶ阪神の選手たち。抗議の末2塁打になり、長い延長戦が始まった
試合終了0時26分? 第4位~第2位
第4位
ロースコアとは限らない。史上最多得点の引き分けは13対13。1953年3月21日の西鉄対近鉄(平和台)と、1980年6月6日の南海対西武(大阪)だ。すでに経営母体が変わった球団が3つ、球場はいずれも取り壊されている。ノスタルジーをも感じさせてくれる打撃戦である。
第3位
1992年9月11日、首位・ヤクルトと追う阪神は、甲子園で激突した。当時の規定は延長15回で決着がつかなければ引き分け再試合。9回2死一塁からの八木裕の左中間への大飛球で、決着はつくはずだった。ジャンプする外野手のグラブにボールは収まらず、フェンスの向こうで弾んだ。サヨナラ本塁打と審判もジャッジ。しかし、野村克也監督が猛抗議した。リプレー検証はなかった時代だが、疑念を感じていた審判団も協議した。
ダイレクトでフェンスを越えたのではなく、ラバー上部に当たり、金網を乗り越えたのだった。エンタイトル二塁打で試合再開。後続が倒れ、以後、延長15回まで互いに得点は入らなかった。
試合終了0時26分。幻のサヨナラ本塁打の際に、中村勝広監督の抗議により37分の中断をはさんでいる。史上最長の6時間26分という時間だけでなく、優勝の行方を大きく左右したという意味でも、球史に残るドローだといえる。
第2位
1988年10月19日、以前に「ダブルヘッダー名勝負」編の1位に選んだ、伝説の「10.19」である。ロッテ対近鉄(川崎)第2試合。勝てば優勝の近鉄は、1点リードで8回を迎えた。マウンドにはエース・阿波野秀幸。ところが絶対の自信をもっていたスクリューボールを、高沢秀昭に左翼スタンドに運ばれ同点に追いつかれてしまう。
当時の規定は「4時間を超えて新しいイニングに入らない」。先を急ぐ近鉄にとどめを刺したのが、9回裏、ロッテの有藤道世監督による9分間の抗議だった。10回表、近鉄は無得点で西武の優勝が決定。放心状態の中、近鉄ナインは10回裏を抑え、引き分けでシーズンを終えた。昭和ラストシーズンの思い出に残る名勝負であった。