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那須川世代は“育ちからして違う”? 「天心君を超えたい」令和のキックをひっぱる志朗の変貌と石井一成の初体験
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2021/05/25 17:02
21年2月、天心戦に挑んだ志朗。トーナメントにかける思いは強い
石井と那須川の世代からは「育ちからして違う」
一方、石井は初戦で大崎一貴と激突する。両者は過去3度対戦。石井は1勝2分と勝ち越している。2014年12月、名古屋での初対決の際は48kg契約で闘っている。ボクシングの階級でいうとライトフライ級だが、キックではどの団体もランキングを制定していない。
当時、石井は16歳で大崎は18歳。ふたりとも若かっただけに、この一戦を名古屋の現場で観戦する機会に恵まれた筆者はセミプロマッチのような感覚で観戦した。しかし、両者は大人顔負けのテクニックを披露。白熱したシーソーゲームになった記憶がある。ちなみに石井は那須川と同い年。この世代から日本のキックは世界に通用する人材があまた輩出されるようになった気がしてならない。
その理由を聞くと、石井は「育ちからして違う」と語気を強めた。石井がまだ小学生の頃、WINDY SUPER FIGHTというジュニアムエタイファイターの育成イベントが盛況だった。“神童”那須川、ボクシングに転向した武居由樹、MMAに転向した平本蓮も出場していた。そういったジュニアの大会で揉まれていくうちに、石井は自然と力をつけていく。
「だから僕らの世代は25kg級でもムチャクチャ強かった」
「ムエタイだけではダメなのか」
当時、石井には2歳年上の憧れの日本人ファイターがいた。一時はタイでも通用する名選手だったが、日本でヒジ打ちが禁止されヒザ蹴りに制限が加えられたルールでは活躍することができなかった。そんな彼を目の当たりにして石井は「ムエタイだけではダメなのか」とショックを受けた。
「だから僕はそれから空手もしたし、キックボクシングにも挑みました。それが混ざり合い、いまのスタイルになった。僕らより下の世代はそれが当たり前になっていると思う」
話を聞き、石井が軽量級ながらKOを量産できるほどのハードパンチャーであることにも納得した。以前の世代とは、格闘技の捉え方が根本的に違う。20年ほど前まで、日本では“打倒ムエタイ”を目標に闘うキックボクサーが多かった。それだけタイの国技であるムエタイは選手層が厚く、チャンピオンを撃破することは至難の業といわれていた。タイでは幼少期からムエタイをやる子が多く、日本のキッズ世代が挑戦してもなかなか結果を残すことはできなかった。