フランス・フットボール通信BACK NUMBER

昨年の戦争で18歳GKはじめ多数戦死…未承認国家「アルツァフ」で生き延びたサッカー界の現状とは【全人口の60%が難民に】 

text by

ブラディミール・クレセンゾ

ブラディミール・クレセンゾVladimir Crescenzo

PROFILE

photograph byGevorg Ghazaryan

posted2021/05/26 06:00

昨年の戦争で18歳GKはじめ多数戦死…未承認国家「アルツァフ」で生き延びたサッカー界の現状とは【全人口の60%が難民に】<Number Web> photograph by Gevorg Ghazaryan

スタンドでアルツァフの国旗を掲げる子どもたち。多大な犠牲を払いながらも、サッカーは日常に戻ってきた

「クラブは死んだ。誰も働いていないし、選手はそれぞれが個別にトレーニングを重ねながら状況が好転するのを待っている」

 ガンザサールの離脱により、アルメニアにおいて地域統合に大きな役割を果たしていたリーグの弱体化が顕著となった。

 アルツァフ共和国にとっては、サッカーは自分たちの要求をメディアに伝える絶好の機会であった。実質的な代表を組織し、2019年には独立サッカー連盟(=CONIFA。FIFAに加盟していない国・地域により2013年に結成された国際団体)主催のヨーロッパ選手権を開催した。

「世界はアルツァフを認識し始めており、アルツァフも自らのメッセージを伝える手段としての、サッカーの重要性を理解した」と、CONIFAのプレスオフィサーを務めるスレン・スキヤシアンは述べているが、彼が語るずっと以前からアルツァフはそのことに気づいていた。

国際社会へのアピールもかなわない現状

 問題は、アルツァフリーグがUEFAに認められていないことである。頼みの綱はアルメニアであり、2017年にはFCアルツァフがアルメニア2部リーグに参戦を果たした。

「アゼルバイジャンにおけるカラバグFKがそうであったように、目的はCLやELにおいて自分たちの要求をPRできるようになることだ」とガザリヤンは語る。

 ところがクラブは2019年に売却され、名前もFCノアに変わった。当初の目的は忘れられ、共和国の旗印は1927年にナルゴノ・カラバフのアルメニア人たちによって創設された歴史的クラブであるレルナイン・アルツァフに移っていった。

「ソビエト連邦時代には、ふたつのクラブが地域を代表していた。アゼルバイジャン人のクラブであるカラバグ・アグダムと、2002年に名前をレルナイン・アルツァフに変更したカラバグ・ステファナケルトだ。当時は両クラブによるカラバグダービーすらあった」と、CONIFAで書記長を務めたサッシャ・デュエルコップが事情を説明する。両者の怨恨が根深くなり、交わることがまったくない今日では想像もできないことである。

 アルツァフ共和国から財政支援を受けているレルナインは、ヨーロッパにおける自らの居場所を模索している。2019~20シーズンから、クラブはアルメニア2部リーグに復帰した。首都ステパナケルトでの試合は開催できなくはなったが、地域との繋がりを維持するために、練習は今も地元で行っている。

【次ページ】 悲しみに暮れる国でサッカーにできること

BACK 1 2 3 4 NEXT
ピュニクFC
FCノア
ガンザサール・カパン

海外サッカーの前後の記事

ページトップ