フランス・フットボール通信BACK NUMBER

昨年の戦争で18歳GKはじめ多数戦死…未承認国家「アルツァフ」で生き延びたサッカー界の現状とは【全人口の60%が難民に】 

text by

ブラディミール・クレセンゾ

ブラディミール・クレセンゾVladimir Crescenzo

PROFILE

photograph byGevorg Ghazaryan

posted2021/05/26 06:00

昨年の戦争で18歳GKはじめ多数戦死…未承認国家「アルツァフ」で生き延びたサッカー界の現状とは【全人口の60%が難民に】<Number Web> photograph by Gevorg Ghazaryan

スタンドでアルツァフの国旗を掲げる子どもたち。多大な犠牲を払いながらも、サッカーは日常に戻ってきた

「アルメニアリーグでプレーすることで、アルツァフとアルメニアはひとつであることをアピールできる」と、GKのエリック・カチャトリヤンは語っている。

 11月26日にリーグを再開できたとはいえ、選手たちの多くは前線から戻らず、レルナインはリーグを戦うことの難しさに直面した。

悲しみに暮れる国でサッカーにできること

「戦闘が始まった日から停戦に至るまで、彼らは祖国を守るために前線で戦い続けた」と、レルナインに所属し、アゼルバイジャンに占領されたショウシの出身であるバディム・ハイリヤンは言う。

「アルツァフの家を失って、僕はエレバン(アルメニアの首都)に移住せざるを得なかった。親しい人々も多く亡くなった。心が引き裂かれたよ」

 前線で再会したレルナインの選手たちは銃を手に取り、トルコとシリアジハーディストの支援を受けた、彼らよりずっと重装備のアゼルバイジャン軍と対峙した。惨敗は避けがたく、受けた心の傷は甚大だった。

「親友のひとりであるハルートを僕は失った。その喪失感といったら」とカチャトリヤンは告白する。

「僕らの国は悲しみに暮れている。それでもサッカーが好きだから、続けて行く力を見出すことができた」

 細々とではあるがアルツァフのサッカーは生き延びた。選手と地域に暮らす人々、祖国を離れざるを得なかった人々に、新たな活力を与えるために……。

関連記事

BACK 1 2 3 4
#ピュニクFC
#FCノア
#ガンザサール・カパン

海外サッカーの前後の記事

ページトップ