フランス・フットボール通信BACK NUMBER

昨年の戦争で18歳GKはじめ多数戦死…未承認国家「アルツァフ」で生き延びたサッカー界の現状とは【全人口の60%が難民に】

posted2021/05/26 06:00

 
昨年の戦争で18歳GKはじめ多数戦死…未承認国家「アルツァフ」で生き延びたサッカー界の現状とは【全人口の60%が難民に】<Number Web> photograph by Gevorg Ghazaryan

スタンドでアルツァフの国旗を掲げる子どもたち。多大な犠牲を払いながらも、サッカーは日常に戻ってきた

text by

田村修一

田村修一Shuichi Tamura

PROFILE

photograph by

Gevorg Ghazaryan

 アルツァフ共和国、別名ナゴルノ・カラバフ共和国を皆さんはご存じだろうか。ソビエト連邦時代はアゼルバイジャン共和国の自治州で、ソビエト崩壊に伴い1991年にアゼルバイジャンからの独立を宣言したが、国際的な承認はほとんど得られていない。人口約15万の9割以上をアルメニア人が占め、現在はアルメニア共和国の強い保護を受けている。

『フランス・フットボール』誌2月16日発売号では、ブラディミール・クレセンゾ記者が戦争により深刻な打撃を受けた、アルメニアとアルツァフ両共和国のサッカーの様子をレポートしている。ノアの方舟が有名とはいえ、日本にはほとんど馴染みのないこの地域で、いったい何が起こったのだろうか。

(田村修一)

 南コーカサス南部のカラバフを巡っては、古くからアルメニアとアゼルバイジャンが領有を主張して紛争を繰り広げてきた。1980年代後半にミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカ政策が開始されたことを契機に、アルメニアはカラバフの自国への編入を要求し、アゼルバイジャンとの対立が一気に激化した。ソビエトの崩壊にともない両国は戦闘に突入した。これが第1次ナゴルノ・カラバフ戦争である。

  2020年9月27日から11月10日まで、アゼルバイジャンとアルメニアはアルツァフ共和国をめぐり再び激しい戦闘を繰り広げた。いわゆる第2次ナルゴノ・カラバフ戦争で、その結果、全人口の60%に相当するおよそ9万人のアルツァフ国民が国境を越えて難民となった。アゼルバイジャン軍により6週間にわたって蹂躙されたアルツァフは、領土の多くを失ったうえにアルメニア軍と合わせて5000人近くの戦死者を出した。その中にはサッカー選手をはじめ、多くのアスリートが含まれていた。

戦地から戻らなかったアスリートたち

「2016年リオ五輪のグレコローマンレスリング66㎏級で銀メダル(決勝では疑惑の判定の末に優勝したダボル・ステファネクに惜敗)を獲得したミグラン・アルチュニャンなど、およそ30人のアスリートがアルメニアから戦いに加わった」と、アルメニア・スポーツ弁護士協会会長を務めるアルトスラム・バダリアンは言う。

 その全員が、前線から戻ることがなかった。

「兵役は国の義務で、われわれのクラブからもリザーブチームの多くの選手が戦場に赴いた。18歳のGKガジク・アブラハミヤンもそうで、短い生涯を彼は戦地で閉じた」と、アルメニアで最多タイトル獲得を誇るピュニクFCの広報ハイザク・ミルチヤンがつけ加える。

【次ページ】 戦争がサッカーに及ぼした打撃

1 2 3 4 NEXT
ピュニクFC
FCノア
ガンザサール・カパン

海外サッカーの前後の記事

ページトップ