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昨年の戦争で18歳GKはじめ多数戦死…未承認国家「アルツァフ」で生き延びたサッカー界の現状とは【全人口の60%が難民に】 

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ブラディミール・クレセンゾ

ブラディミール・クレセンゾVladimir Crescenzo

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photograph byGevorg Ghazaryan

posted2021/05/26 06:00

昨年の戦争で18歳GKはじめ多数戦死…未承認国家「アルツァフ」で生き延びたサッカー界の現状とは【全人口の60%が難民に】<Number Web> photograph by Gevorg Ghazaryan

スタンドでアルツァフの国旗を掲げる子どもたち。多大な犠牲を払いながらも、サッカーは日常に戻ってきた

 ガジクと同様に、VBETプレミアリーグ(アルメニア1部リーグ)に所属する5人の若者が武器を取り帰らぬ人となった。悲報には、アルメニアサッカー界全体が悲しみにくれた。

「どのクラブも戦争前のようには活動できなくなった」とミルチヤンは言う。

 なぜならクラブこそは、避難を余儀なくされたアルツァフの人々への支援を積極的に行っていたからだった。

「すべての財貨や物資が最優先で集められた」と、テレビスポーツコメンテイターを務めるゲボルグ・ガザリヤンは語る。

「われわれが使っていたバスも、避難民――とりわけ老人と子供がアルメニアに移動するために用いられた」と、FCノア(1部リーグ所属)でエクゼクティブ・ディレクターを務めるアルツール・サハヤンは回想する。同様の動きはすべてのクラブで起こった。

戦争がサッカーに及ぼした打撃

 心理面でのダメージ以外にも、クラブが受けた経済的な打撃も大きかった。ガンザサール・カパン(1部リーグ所属)は、財政難によりすべての大会から撤退せざるを得なかった。同クラブの広報を務めるアルメン・アイバジヤンが事情を説明する。

「クラブの資金はアルツァフ共和国支援のために使われた。私たちにとってサッカーは生活のすべてだが、それ以上に人間の生命の方が重要だからだ」

 称賛に値する決断ではあるが、誰もが同じ思いというわけでもなかった。

「選手やクラブ職員にとっては理不尽な決定だった。クラブを所有し最大のスポンサーも兼ねているのは、この国で最も裕福な企業(ザンゲズール・コッパー・モリブデナム・コンバイン:Zangezur Copper Molybdenum Combine)であるのだから、他にもっとやりようがあったはずだ」とゲボルグ・ガザリヤンは語る。

「第1次ナルゴノ・カラバフ戦争(1988~94年)のときですら、どのクラブも撤退することなくリーグが継続したのに、今回の紛争では(これまでの10クラブから)9つのクラブに規模が縮小された」

 ガンザサールの関係者には、事前に何も知らされなかった。

「状況を理解したのはある試合の前、11月3日のことだった。その2日後に、すべてが終わったことがわかった」と、リトアニア人のフォワードで、クラブとの契約を解除されたロカス・クルスナウスカスが当時を回想する。

【次ページ】 国際社会へのアピールもかなわない現状

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