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沖縄初のオリンピックレスラーに! 屋比久翔平が果たした“親父の夢”「高1の頃は内地の高校生はすごいと思っていた」
posted2021/04/18 11:01
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Sachiko Hotaka
青い海。穏やかな時の流れ。
他県で暮らす者からすれば、沖縄といえばそんなイメージが真っ先に思い浮かぶ。しかし、高校まで沖縄で生まれ育った屋比久翔平(ALSOK)にとっては違う。かの地で青い海に囲まれていることなど当たり前の話だというのだ。だったら、屋比久にとって沖縄のイメージとは?
「那覇空港に降りたら、モワ~ンとした空気を感じる。その瞬間、沖縄を実感しますね」
4月9日(現地時間)、カザフスタン最大の都市アルマトイで行なわれたアジア予選。グレコローマンスタイル77kg級で屋比久は決勝進出を果たし、規定により東京オリンピックへの出場切符を手にした。
沖縄出身のオリンピックレスラーとしては記念すべき第1号となる。
涙を滲ませ「親父の夢を一つ果たせた」
筆者が聞き手を務めた、試合後のインタビュー。沖縄で吉報を待つ父・保さん(現・北部農林高レスリング部監督)の話を振ると、屋比久は涙を滲ませながら話し始めた。
「親父の夢を一つ果たせた。これからは自分の夢に向けて、五輪で金メダルという夢に向かって、ひとつふたつとレベルを上げて金メダルを取りに行きたい」
保さんは1989年と91年の全日本グレコ王者。世界選手権にも派遣され92年のバルセロナ・オリンピックの時には代表候補にまでなったが、あと一歩というところで道は潰えた。
保育園のときから父が指導するレスリングマットで遊び、小3から高校卒業までは二人三脚でレスリングのイロハを学んだ。オリンピック出場は親子二代にわたる悲願でもあった。
「小学校から高校まで、父とは一番長く過ごしていますね」
努力の甲斐あって、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックのときにもアジア予選に挑戦。その直後には世界最終予選にもトライしたが、いずれも出場権を逸している。オリンピックへの道は想像以上に険しかった。屋比久にとって、今回のアジア予選はリベンジマッチでもあった。
「5年前の予選では負けてすごく悔しい思いをしたので、(今回は)そのときの屈辱を晴らせたという気持ちが大きい」