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沖縄初のオリンピックレスラーに! 屋比久翔平が果たした“親父の夢”「高1の頃は内地の高校生はすごいと思っていた」
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySachiko Hotaka
posted2021/04/18 11:01
屋比久翔平(右)はアジア予選で決勝に進出し、沖縄県出身のレスリング選手として初めて五輪への切符を手にした
「とりあえず枠をとりました」と報告すると
日本体育大学に進学後はレスリングに没頭できる環境に恵まれた。準決勝後、屋比久は長年面倒をみてくれた松本隆太郎コーチに電話で「とりあえず枠をとりました」と報告した。この4月から地元群馬県にUターン。育英大学の男子レスリング部監督に就任した松本さんは受話器ごしにゲキを飛ばした。
「これで満足したらいけない。次(決勝)は自分の世界の立ち位置を確かめてこい」
お互い腰から上部を攻め合うグレコローマンスタイルは、ロシアや旧東欧などで盛んなレスリングだ。フリースタイルに比べると、俵返しや反り投げなど豪快な投げ技が決まることでも知られている。アジア予選に続いてカザフスタンの同会場で開催されたアジア選手権同スタイルではイラン、カザフスタン、キルギスが際立った強さを見せた。
果たしてアジア予選決勝で、屋比久はアクジョル・マクムドフ(キルギス)を相手に後半は追い上げたが、3−7で敗れた。沖縄の星は「準決勝までは飛び抜けて強い相手はいなかった」と思い返す。「対照的に(マクムドフのように)場数を踏んでいる選手は自分の形に持っていくのがうまい。自分もそういうふうに持っていけたら、また展開は変わってきたんじゃないかと思います」
「内地の高校生はすごいと思っていた」
東京オリンピック開幕まで100日を切った。屋比久は「課題は山積み」と苦笑するが、沖縄でオリンピックスポーツ、とりわけ同じレスリングに励む者たちにとっては大きな励みになったことだろう。
「自分も(高校までは沖縄という)小さな島でやってきた。県外の選手とはあまり交流がない中で、ここまでやってこれた。沖縄の子供たちには今まで通り、自信を持って毎日の練習を楽しんでやってほしい」
日本の高校レスリングは日々の練習とともに、週末になると近隣の都道府県にある学校との合同練習や練習試合を行なうことで技を磨き、キャリアを積み重ねる。
しかし、海に囲まれた沖縄ではそうはいかない。屋比久は「(本州などで)試合があるとひとりだけ出してもらっていたことも」と思い返す。「大会後はそのまま内地の大学の練習に2~3日出させてもらったりしていましたね」
沖縄では県外のことを内地と呼ぶ。屋比久は「高校1年の頃は内地の高校生はすごいと思っていた」と振り返る。