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11年前『情熱大陸』で滝から滑落、死にかけて…服部文祥52歳の“退屈な毎日”「登山はズルい、廃村暮らしはズルくない?」
text by
稲泉連Ren Inaizumi
photograph byNanae Suzuki
posted2021/04/10 17:03
服部文祥さんと愛犬ナツ
服部 結局、登山というのは持続可能な行為ではない、という壁にぶつかったところから試行錯誤が始まったんだ。
本物の登山というのは、常に「初登頂」を目指すところに大きな意味があったわけだよね。ところが、あらゆる山のあらゆるルートが登り尽くされていくと、よりリスクの大きな場所だけが残される。登山の世界に初期衝動のアドレナリンを求めていけば、いつかは本当に死んでしまう。だから、純粋な初登頂主義は持続不可能なわけだ。
そんななかで、岩登りの人たちが発見したのが「フリークライミング」だった。フリークライミングには一切の情報を得ずに、自らにとっての初登頂を意味する「オンサイト」という概念がある。彼らは地理的な限界のある登山という行為に、個人的な初期衝動という概念をくっつけることで、それを持続可能なスポーツへと変えたんだ。
俺が若い頃というのはエヴェレストも急速に商業化されていったし、ヒマラヤの「遠征隊」みたいなものが持っていたロマンが、どんどん失われていく時代だった。「登山とは何か」とか「リスクを受け入れてもその行為をしたい」なんて言う人間はいよいよ絶滅危惧種になって、社会的にも評価されなくなっていった。
そうして、かつて「登山」の世界を作っていた母集団が小さくなっていく一方、佐藤裕介くんや横山勝丘くんといった天才が現れ、彼ら「ギリギリボーイズ」が一気に誰も手の届かないようなクライミングをするようになってさ。沢登りの大西良治くんもそう。彼らの登場によってこれまでの「登山」は終わったように感じた。少なくとも俺の登山は終わったんだ、って。
そうした時代の流れを見ながら、日本の山をフリークライミング的に登るにはどうしたらいいだろう、とずっと考えていた。それで1999年頃、試しに南アルプスにできる限り装備を減らして入って、好きだったテレビアニメ『はじめ人間ギャートルズ』のように登山をしてみたら、「あれ、これ、フリークライミング的だよな」と感じたんだ。それが「サバイバル登山」の始まりだった。
11年前『情熱大陸』で死にかけて…
――そうしてサバイバル登山を続ける中で、「現代文明」への違和感は解消されていったのでしょうか。