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狩野舞子が「変えたい」と思う女性選手の環境とは? 男性指導者の「生理」への理解、下着のラインが透けるユニフォーム
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byShigeki Yamamoto
posted2021/03/25 11:05
自分の意志で決断した海外移籍が転機だったと振り返る狩野舞子。イタリア、トルコと2年間プレーした経験は現在の活動にも生きているという
転機となったイタリア移籍
転機は10年の夏。左アキレス腱断裂からの復帰に向けたリハビリに取り組む中で、海外へ渡ることを決断した。
「ロンドン(五輪)まであと2年しかない。何かを変えたかったし、どうにかしなきゃと思った時、『海外へ行って経験を積みたい』と思ったんです。最後は強行突破のような形で久光を辞めたので、いろいろな人に迷惑をかけたし、期待されながら何も応えられなかったことはすごく申し訳なかったですが、それでも外に出たかった。中学、高校、Vリーグと進む中で自分が『こうしたい』と思って動いたことはほとんどなかったから、自分で決めて動いたのはこれが初めてでした」
イタリアへ渡り、セリエAのパヴィーアと契約。さまざまな国から選手が集まり、プロとして貪欲に結果を残すべく練習から自らを主張する。個性の強い集団の中で、日本から来た狩野も決して特別な存在ではない。それまでの経歴など関係なく、評価されるのは今、そして結果のみ。競技者としてはいわば当たり前の環境が、すべてが新鮮だった。
日本にいれば合宿や試合などの遠征時の送迎、遠方へ行く際は新幹線や飛行機の切符もマネージャーから渡される。どこへ行くにも不自由せず、食事や身体のケアも専門スタッフに任せればいい。恵まれた環境下の日本と異なり、世界最高峰のプロリーグを擁するイタリアでは、練習の行き帰りも日々の食事も身体のケアもすべて自分でやらなければいけなかった。
日本を離れ、初めて「自分がどれだけ恵まれていたかを思い知った」。そして、積極的に行動すれば世界は確実に広がることも知った。
「人の目ばかり気にして『話しかけないで』と殻に閉じこもっていたけど、海外へ行ったら自分からコミュニケーションを取らなければ放っておかれるだけだし、そもそもいろんな人とコミュニケーションを取るってこんなに楽しいんだ、と。人に左右されるんじゃなく、自分の人生は自分が決める。当たり前のことに、やっと気づきました」
翌年にはトルコのベシクタシュに移籍。欧州でのプレーは2年に留まったが、シーズンほぼ全試合で出場を果たしたのはプロになってから初めてのことだった。高さもパワーも備えた選手が揃う中、大型選手ながら守備も器用にこなす狩野はむしろ使い勝手がいい。日本では常に中心でいることばかりが求められたが、たとえ目立つ場所にいなくても果たすべきことはあり、評価もついてくると実感した。
そこで得た新たな自信は選手としてだけでなく、引退した今にもつながる大きな力になった。