バレーボールPRESSBACK NUMBER
狩野舞子が「変えたい」と思う女性選手の環境とは? 男性指導者の「生理」への理解、下着のラインが透けるユニフォーム
posted2021/03/25 11:05
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Shigeki Yamamoto
「美女アスリート」「美人すぎるバレーボール選手」
狩野舞子がメディアに取り上げられるときは、かなりの確率でそんな形容詞が当てはめられてきた。
現役を引退した今となっては「冗談交じりで自分から“美女アスリートの狩野舞子です”と言えますよ」と自虐的に笑うが、そこまで振っ切れたのは最近のこと。他競技の選手たちとの交流が増え、互いの競技について話をする機会が増えてからだと言う。
「注目していただけるのはありがたいけど、実力で注目されたいとか、その当時は美人と言われても嫌だなと思っていたんです。
でも、それはバレーボールがテレビで中継される機会も多い競技だからであって、他競技の子たちからすれば『きっかけは何でもいいから、注目されるだけうらやましい』って。自分がどう見られる、どう見られたいの前に、この競技をどう見せ、知ってもらえるか。マイナー競技とされる選手ほど貪欲で、あの頃の自分とは全然違う。見習わなきゃいけなかった、って今になって気づかされました」
敷かれたレールを走り続けていた
寮生活だった高校時代、その日の練習メニューや休みは直前にならなければわからない。食事も練習状況によって時間や内容も異なり、今思えば「なぜそれをおかしいと思わなかったんだろう」と笑う。だが当時はバレーボールで強くなり、日本一になるためには、毎日怒られてもそれが当たり前だと思い込んでいた。
そのまま敷かれたレールの上を走り続けるならば、高校時代の監督から勧められたチームへ進まなければならない。だが狩野は自らの意志を通し、姉・美雪が在籍した久光製薬(現久光スプリングス)でプロとしてのキャリアをスタートさせた。
しかし、2008年に右足、10年には左足と、わずか2年の間に両足のアキレス腱を断裂。在籍した3シーズンはほぼリハビリに費やした。何かを変えたい——頭のなかでは漠然とそう描き続ける毎日だったが、体育館と寮の行き来をする狭い世界で狩野はもがいていた。