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狩野舞子が「変えたい」と思う女性選手の環境とは? 男性指導者の「生理」への理解、下着のラインが透けるユニフォーム
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byShigeki Yamamoto
posted2021/03/25 11:05
自分の意志で決断した海外移籍が転機だったと振り返る狩野舞子。イタリア、トルコと2年間プレーした経験は現在の活動にも生きているという
あれほど嫌がった人前に出ること
ロンドン五輪後は久光へセッターとして再入団し、一度引退するも、16年にはスパイカーとして2部から1部に昇格したPFUブルーキャッツへ入団。18年の引退まで「バレーボールはやりきった」と後悔なくスッキリと区切りをつけた。
セッターとしてもっと成功してほしかった。引退しても指導者といったバレーボールの現場に近い場所にいてほしかった——そう願う人もいるかもしれない。
「でも、それは人それぞれ、見方はさまざま」
引退して間もなく3年。最も注目を浴びた高校時代、あれほど嫌がっていた人前に出ることが今は仕事になった。解説業のほか、現在はタレントとしても活動の幅を広げている。周囲の目は、もうすっかり気にならなくなった。
「インスタのコメント欄にも『狩野さんはどこを目指しているんですか?』と書かれることもあります。確かに指導者でもないし、バレー選手だったわりにはバレーに限らず(YouTubeなど)チャレンジ物の企画も多いし、実際に求められれば変顔でも何でもやる(笑)。そんな姿が余計に宙ぶらりんに見えるのかもしれません。
でも、よく考えると今の生き方って、私のプレースタイルと同じなんです。高校までは打点の高いスパイクが武器だったけど、久光に入ってからはずば抜けた武器がないことがコンプレックスだったし、(ロンドン五輪の後に転向した)セッターとして成功したわけでもない。でもスパイカーだけじゃなくセッターもやらせてもらったおかげで、(姉が女子日本代表監督を務める)デフバレーの指導を手伝ったときもいろいろできて役立った。
これ、と決めずに何でもやる。そういう存在が1人ぐらいいてもいいんじゃないか、って思うし、いろいろなことができるから毎回新鮮で、毎回真剣。自由に、臨機応変でいたい、とは思いますね」
活躍する後輩たちを見て「私には無理」
指導者という選択肢こそないが、バレー教室や競技の魅力を伝えるイベントに加え、春高やVリーグ、国際大会での解説や副音声など、いまもバレーボールに接する機会は少なくない。
黒後愛や石川真佑(共に東レアローズ)、林琴奈(JTマーヴェラス)や古賀紗理那(NECレッドロケッツ)など、今季のVリーグで活躍する後輩たちを見て、「みんなハイセット(高いトス)を打ちきれる逸材ばかり。私には無理だと思いながらも、未だに『自分だったらどうするかな』と思いながら見てしまう」と笑うが、むしろプレーよりもいま関心があるのは、若い女性選手が置かれる環境で生じる問題だという。