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サッカーの聖地マラカナン改名騒動… 「王様ペレ」なのに大反対、背景にある“剛腕ジャーナリスト伝説”とは 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byTakuya Sugiyama/JMPA

posted2021/03/20 11:00

サッカーの聖地マラカナン改名騒動… 「王様ペレ」なのに大反対、背景にある“剛腕ジャーナリスト伝説”とは<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama/JMPA

ドイツとメッシ擁するアルゼンチンが激突した2014年W杯決勝の舞台マラカナン。改名騒動はブラジル国中を大きく騒がせているという

一部が未完成なのにW杯開幕戦、8万人超の観衆

 1950年6月24日、スタンドの一部が未完成だったにもかかわらず、ブラジル対メキシコの開幕戦が強行された。本来の収容人員の半分以下で、それでも8万人を超えた観衆の前で、ブラジルは4-0と快勝した。

 観衆はスタジアムの巨大さに驚きかつ呆れ、セレソンのゴールラッシュに熱狂した。

約20万人が味わった「マラカナンの悲劇」

 ブラジルはグループステージを首位で突破し、2次リーグでもスウェーデン、スペインに圧勝。最終戦で、引き分けでも優勝という有利な状況で宿敵ウルグアイと対戦した。

 この試合の有料入場者数は17万3850人で、招待客も加えた観客の総数は19万9854人。いずれも史上最多で、71年後の現在に至るまで破られていない。

 ブラジル選手には緊張がみられたが、後半開始直後、待望の先制点をあげる。しかし、その後、ウルグアイの快速右ウイング、アウシデス・ギッジャに再三、サイドを突破され、MFフアン・アルベルト・スキアフィーノとギッジャにゴールをこじ開けられてまさかの逆転負け。初優勝を逃し、スタンドを埋めた20万人、そして5200万人のブラジル国民が悲嘆に暮れた。

試合翌日の紙面、フィーリョは活字で国民を鼓舞した

 しかし、「世界で最も大きく、最も美しいスタジアム」の生みの親は、不屈の闘志と冷徹な理性を持ち合わせていた。

 試合翌日の紙面で、「この敗戦は、神様が我々ブラジル人に与えた試練だ。世界のフットボール史上、これほどつらい思いをした国民はおらず、今後もいないだろう」と前置きした上で、「我々は、この残酷なまでに厳しい敗戦を通じて多くのことを学んだ。それを糧として、いずれ、真の世界チャンピオンになるのだ。そのために、涙を振り払って立ち上がろう」と国民を鼓舞した。

 マリオ・フィーリョの先見の明とジャーナリスト魂のお蔭で、世界に冠たるマラカナン・スタジアムが誕生した。そして、マラカナン・スタジアムがあったからこそ、現在のフットボール王国ブラジルがあると言っても過言ではあるまい。

 1958年の悲願の初優勝を皮切りに、W杯で世界最多の5度の戴冠。現実は、マリオ・フィーリョが思い描いた夢を遥かに凌駕した。

 マリオ・フィーリョは、1966年、58歳で逝去した。リオ市はこの偉大なジャーナリストの死を悼み、その功績を称えて、マラカナン・スタジアムの正式名称を「ジョルナリスタ・マリオ・フィーリョ」とした。

『聖地マラカナン改名騒動、功績者の孫が痛烈批判 「全くお粗末な議員どもだ!」と怒りに震えるワケ』は関連記事からご覧になれます)

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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