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サッカーの聖地マラカナン改名騒動… 「王様ペレ」なのに大反対、背景にある“剛腕ジャーナリスト伝説”とは
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Sugiyama/JMPA
posted2021/03/20 11:00
ドイツとメッシ擁するアルゼンチンが激突した2014年W杯決勝の舞台マラカナン。改名騒動はブラジル国中を大きく騒がせているという
「なぜ今頃、改名を申し立てるのか」
その一方で、「マリオ・フィーリョの功績を忘れたわけではない。彼の名は、この地区のスポーツ・コンプレックスの総称として残したい」と付け加えた。
スタジアムに隣接して体育館、陸上競技場、水泳プールがあり、彼の名はそれらの集合体を表わす名称に使用したい、と言うのである。
州議会で承認されたからといって、すでに改名が決まったわけではない。議案の可決から15日以内、即ち3月24日までにリオ州のクラウジオ・カストロ知事が最終判断を下すことになっている。
この"改名騒動"は国内外で大きく報じられ、波紋を呼んでいる。ペレとサントスFCのファンが改名に賛成する一方、リオのベテラン・ジャーナリスト、知識人、年配のファンらからは反対の声が上がった。
「マリオ・フィーリョがいなければ、マラカナン・スタジムは存在しなかったのではないか。彼の功績を軽んじるのは、ブラジルのフットボールへの冒涜だ」
「リオのクラブでプレーしなかったペレの名前を冠するのは違和感がある」
「なぜ今頃、改名を申し立てるのか。何か隠された事情があるのではないか」
そもそも、フィーリョという人物は何者なのか
そもそも、このマリオ・フィーリョとは何者なのか。一体、何をしたのか。それを知らなければ、改名が妥当かどうか判断の下しようがあるまい。
マリオ・フィーリョは1908年、ブラジル北東部の海岸町レシフェで生まれた。8歳のとき、父親がリオの新聞社に職を得て、一家で引っ越した。当時のリオはブラジルの首都で、リオっ子が「シダージ・マラビリョーザ」(マーベラス・シティ)と自慢する華麗な都だった。
1925年、父親が勤務先を離職して日刊紙「ア・マニャン」を創刊。その翌年、18歳のマリオ・フィーリョはこの新聞社で記者として働き始めた。
当初は見習いだったが、多岐に渡る分野の取材を行ない、記事を書いた。やがて、子供の頃からその魅力にとりつかれていたフットボールの記事を書きたくなり、志願して運動部へ移った。