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なぜバングラデシュに? 35歳日本人がサッカークラブ“市民兵”の主将として必死にスポンサー集めをする理由
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byYusuke Kato
posted2021/03/16 11:00
加藤友介、1986年2月13日生まれの35歳。バングラデシュリーグで3季目を迎えたアタッカーは、主将としてチームをまとめる傍ら、財政難に苦しむクラブのためにスポンサー集めに奔走中だ
名刺代わりになったアルゼンチンでの経験
「アルゼンチンの強さの源泉は、年齢に関係なく結果を残せばチャンスが与えられること。パストーレも10代ながらウラカンの主力となり、イタリアへ渡った。彼みたいに化け物のような選手が次々と出てきて、練習でも激しく削りあう。その感覚で他の国へ行った際は“激しすぎる”と注意を受けたくらい(笑)。
アルゼンチンで負った怪我の影響もあり、1年近く所属が決まらなかった時期もあります。何よりも以降の数年間は思うようなプレーが出来なくて歯がゆかった。それでもアルゼンチンでの生活は、これまでのどんな国よりもサッカーという競技の本質を理解できたし、代えがたい時間でした。アルゼンチン1部という肩書きがあったことは、他国でプレーする際も名刺代わりになりましたから」
日本に帰国した加藤はその後、JFL、インドを経てタイ1部リーグへ移籍。タイでは2012年から4年半で6クラブに在籍し、再び選手としての輝きを取り戻した。
以降4カ国でプレーを続けている。
「劇的に変わった」が、住みやすくはない
急速な経済発展を遂げているとはいえ、インフラ面、狭い国土に約1億6000万人が暮らすという人口密度をみても、バングラデシュは外国人にとって決して住みやすい国ではない。まして妻と子どもを日本に残しての単身赴任である。「この3年間で劇的に国が変わっていった」と言うが、選手としての時間のほとんどを国外で過ごし、35歳となった今なお、異国の地で現役を続ける原動力はどこから湧いてくるのか。
「自分が知らない生活に触れ、その国の文化を知るという経験は、人としての価値を高めてくれると思うんです。感覚的にはゲームで経験値が増え続けてレベルアップしているような。仮に引退しても、新しいことを始める際も重ねてきた経験は後の人生で必ず活きてくる。
あとはシンプルに職業としてサッカー選手が好きで、体が動く限りは続けていきたい。アルゼンチンでの熱狂を肌で感じ、アジアで様々な国のサッカーと文化を知れたことが現役を続けるモチベーションになっています。今は息子にサッカーをしている姿を見せたいし、この競技が持つ熱を父として伝えることも目的になっていますね」