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なぜバングラデシュに? 35歳日本人がサッカークラブ“市民兵”の主将として必死にスポンサー集めをする理由
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byYusuke Kato
posted2021/03/16 11:00
加藤友介、1986年2月13日生まれの35歳。バングラデシュリーグで3季目を迎えたアタッカーは、主将としてチームをまとめる傍ら、財政難に苦しむクラブのためにスポンサー集めに奔走中だ
バングラデシュリーグが8カ国目
加藤がバングラデシュのクラブに移籍したのは19年。アルゼンチン、インド、タイ、香港、インドネシア、モンゴル……日本を含め、これまで8カ国でプレーを続けてきた加藤は「何となく面白そう」という自身の直感を信じて渡り歩いてきた。バングラデシュを選んだことにも、特段大きな理由はない。クリケットが国技に当たるバングラデシュのサッカー人気はまだそこまで高くはないが、徐々に競技人口が増え、この国の経済と同じようにまさに発展途上ともいえる段階だ。
1部にあたるバングラデシュ・プレミアリーグは、13のクラブが前後期に分かれ年間順位を争う。現在は新型コロナウイルスの影響もあり、首都ダッカ周辺の3つのスタジアムで、すべての試合を開催する変則的なレギュレーションで行われている。同国リーグには加藤の他に日本人選手が1名在籍するが、助っ人の大半はアフリカ系や一部の南米系、アジア枠ではウズベキスタンやカザフスタンといった中央アジア勢が占めているという。
外国人選手の待遇について聞くと、「決して悪くはない」と加藤は続ける。
「戦術、技術的な基礎、ポジショニング、オフ・ザ・ボールの理解といったテクニカルな面では、1部リーグであっても日本のU-15世代の水準です。その反面、身体能力が高くて野性児のようなフィジカル重視のサッカーのため、純粋に個々の能力が問われる。アフリカ系助っ人が多いのはそういう背景があります。
だからこそ、技術で違いを出せる日本人は重宝される側面がある。加入初年度は月給が2000ドル程度でしたが、ステップアップを重ねると3、4倍となっていきましたし、それはかつてプレーしたタイ1部リーグ並の待遇。バングラデシュのサッカーはまだ投資段階ですが、今後強くなっていくことは間違いないと思っています」
キャリアの始発点はアルゼンチン
加藤のプレーヤーとしての原点は南米アルゼンチンにある。大阪の府立高校を卒業した後、単身アルゼンチンに渡って5年半もの時間を過ごした。5部のテスト生から、2年半をかけてCAウラカンのトップチームへと登りつめた。2部リーグに所属していたウラカンでゴールを挙げるなど、1部昇格へ貢献した。
07年にはシーズンの開幕戦のピッチを踏むなど、計15試合に出場。ボカ・ジュニアーズで半年間ほどプレーした高原直泰に次いで、アルゼンチン1部リーグでプレーした2人目の日本人選手となった。当時のウラカンにはアルゼンチン代表MFハビエル・パストーレらが在籍しており、親交を重ねていたと当時を回顧する。
そんな順調にみえたキャリアのスタートだが、世界一の激しさともいわれるリーグで戦うことの代償も大きかった。左足に膝蓋腱炎を発症し、まともに歩けないほどの痛みを庇うことで、新たな怪我を繰り返すようになる。当時の怪我の影響は、以降の選手生活に影を落とすことになる。