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「頑張ったね」サクセスブロッケンの“誘導馬引退”と最後のキス ダービーの夢を叶えたふたりが歩むそれぞれの道
text by
カジリョウスケRyosuke Kaji
photograph byRyosuke Kaji
posted2021/03/13 06:00
サクセスブロッケンと葛原耕二は強い信頼関係を築き、引退レースのフェブラリーSまでともに歩んだ
意識されはじめた「引退」に葛原は
そのような中、サクセスブロッケンの「誘導馬引退」の話があがりはじめる。年齢的にも15歳と若くまだまだ元気だが、目標としていた日本ダービーの誘導の夢を果たすことができた。「心身ともに健康なうちに送り出してあげたい」。それが東京競馬場のスタッフの思いだった。GIホースであり、何より東京競馬場、ひいては競馬界全体に大きな貢献を果たしたファンの多い功労馬。引退の時期をどうするかで関係者は頭を悩ませていた。「あれが結果的に最後の誘導だったんだ」などとファンが後で悲しむようなことは避けたかった。
一方、葛原はサクセスブロッケンの引退が視野に入ってきたことから、秋の東京開催後から乗馬の普及活動に重点を置いた。JRAの各競馬場では馬事普及活動の一環で、スポーツ少年団や一般向けに乗馬の機会を提供している。サクセスブロッケンになるべく多くの人が乗れる機会を作った。誰でも乗れるような扱いやすい馬ではなく普及活動には向いていなかったが、葛原はなるべく多くの人たちにGIホースの背中を感じてもらいたかった。彼に跨った人の中には「やっぱり何かが違う」という顔をしていた人もいたそうだ。
「ゆっくり余生を過ごすことができる場所に」
年末、本格的にサクセスブロッケンの受け入れ先探しが始まり、ほどなく鹿児島県にあるホーストラストが行き先に決まった。「これだけファンの多い馬だから、誰でも会いに訪れることができ、ゆっくり余生を過ごすことができる場所に送り出してあげたかった」と関係者は語る。何かの巡り合わせか、葛原の故郷である宮崎県の近く。「宮崎からだと近いですね」と声をかけると「もちろん会いに行きたい」と葛原は微笑んだ。受け入れ先が決まったことで誘導馬の引退が2月の東京開催で確定となり、「引退レース」も必然的に決まった。そう、彼が制したダートGI・フェブラリーSだ。