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20年前、現役DFクロップを突然監督に…名将を生み出したマインツが貫くブレない哲学とは【トゥヘルも輩出】
posted2021/03/07 11:00
text by
中野吉之伴Kichinosuke Nakano
photograph by
Getty Images
2020年12月、FIFAの年間最優秀監督にリバプールを指揮するユルゲン・クロップ監督が選出されたことは記憶に新しい。
香川真司らを擁したドルトムントで2010-11シーズンにドイツ王者となり、翌11-12シーズンはリーグとDFB杯との2冠を達成。イングランドに渡り、18-19シーズンにCLを制すると、翌19-20シーズンにはリバプールを30年ぶりのリーグ優勝へと導いた。
そうした輝かしい成績のみならず、尽きることのない熱狂の渦を生み出すエネルギーに、サッカーファンの誰もが魅了されていることだろう。
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そんな偉大な指導者が生まれた背景をご存じだろうか。
クロップは、なぜ指導者となり、なぜ今のようなキャリアを手にできたのか。それと同時に、マインツという小クラブからクロップだけではなく、トーマス・トゥヘル(現チェルシー監督)など、多くの優れた指導者が育ってきているのはなぜなのか。
そこには、マインツというクラブだからこその物語がある。
監督・クロップの誕生秘話
時は2001年2月まで遡る。
世間がカーニバル週間を迎え、お祭りムードに包まれている最中、当時2部リーグに所属していたマインツは、漆黒の闇の中にいた。
とにかく勝てない。試合をやれどもやれども勝てない。
同シーズン、圧倒的な低空飛行を続けていたクラブではディルク・カルクート、レネ・バンデレイケン、エックハルト・クラウツンといった監督が何とか平常運航へと舵を切ろうと努めたが、どうにもならないまま時間ばかりが過ぎていた。
クラウツンが7試合未勝利で解任されると、スポーツディレクターのクリスティアン・ハイデルとハラルド・シュトルツ会長は、チームのリーダー格の数人を招いて話し合いの場を設けた。
誰かを雇おうにも、お金はない。時間もない。万事休すかと思われたとき、選手サイドが同僚のクロップを暫定監督にすべきと提案したという。