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20年前、現役DFクロップを突然監督に…名将を生み出したマインツが貫くブレない哲学とは【トゥヘルも輩出】
text by
中野吉之伴Kichinosuke Nakano
photograph byGetty Images
posted2021/03/07 11:00
名将ユルゲン・クロップはなぜ生まれたか。そのルーツは“監督が育つ”土壌が浸透するマインツにある
選手から転身。“冗談”のような物語の幕開け
当時の主軸トーマス・ツィーマーは、当時の様子を笑いながらこう明かしている。
「(クロップが)将来的に指導者になるタイプだなって仲間内ではわかっていたんだ。ちょうどケガで欠場していたし、どうせプレーできないならベンチに監督として座れるんじゃないかって。そんな冗談めいたところもあったんだよ」
クロップは現役時代、主にDFとして2部リーグ通算325試合に出場していた。世間的にはハードな守備が得意という印象しか持たれていなかったが、大学でスポーツ学を学び、システムや戦術に造詣が深く、DFBのA級ライセンス講習会を通して指導者に必要な要素を身につけてもいた。
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ハイデルは当時33歳だったクロップを暫定監督として登用することを決意した。物語の幕開けだ。
とはいえ、さすがに昨日まで選手だったクロップが突然監督記者会見に現われたことに、地元記者の誰もが面食らったという。ハイデルは地元メディアにこんなふうに尋ねられたという話を、20年が経った今でもよくするらしい。
「クロップは、ここで何をしてるんだ?」
残留できると信じていた人は、ほとんどいなかっただろう。しかし、懐疑的な雰囲気はすぐに晴れたのだからすごい。
誰しもを惹き付ける特別な才能
クロップ監督は就任直後のデュイスブルク戦に1-0で勝利しただけではなく、類まれな人心掌握術を早々に見せつけた。わずか数週間後、ハイデルは正式に監督としての契約書を差し出している。
実は、ツィーマーはその後クロップからスタメンを外されている。それでも悪い感情は一切なく、当時をこう振り返る。
「彼はチームの誰からも愛されていた。そして、すべての選手に対していつでもとても正直だった。何か間違ったことがあったら、誰に対しても妥協せずに言い切る強さがあった。
クロップはほかの指導者を遥かに超えている。ほかの人たちは何を言わなければいけないか頭を捻って言葉にしているが、クロップは思うままに言葉にしているんだ」
そう語るハイデルは、クロップなら1995-97シーズン、そして1998-2000シーズンにマインツで素晴らしい指揮を披露した、ボルフガンク・フランクが築き上げた道を辿ってくれると信じるようになったという。