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20年前、現役DFクロップを突然監督に…名将を生み出したマインツが貫くブレない哲学とは【トゥヘルも輩出】
text by
中野吉之伴Kichinosuke Nakano
photograph byGetty Images
posted2021/03/07 11:00
名将ユルゲン・クロップはなぜ生まれたか。そのルーツは“監督が育つ”土壌が浸透するマインツにある
クロップが崇拝する1人の指導者
フランクは世界的に知られた指導者ではないかもしれない。
だが、クロップ自身が「最も多くのことを学んだ」と述懐し、ハイデルも「彼ほど専門知識を持った監督はいない。どんなクラブでも監督ができただろう」と絶賛する人物だ。
「フランクは90年代のドイツで、サッカーをスペースで考えた数少ない監督の1人」
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そう語るのは、当時SCフライブルクで同じようにサッカー界に新しい風を吹かせていた元浦和レッズ監督のフォルカー・フィンケだ。
4バックという革新的なアイディア
1995年の冬、2部リーグで最下位に沈んでいたマインツで、フランクは大きな決断をした。ハイデルは当時を振り返る。
「フランクは『完全に別のやり方をとらなければならない。このままでは残留は無理だ』と訴えてきた。そして、当時誰も採用していなかった4バックにしたいと言ってきたんだ」
合宿地のキプロスで約3週間、毎日毎日戦術的な動きの習得に時間を費やしたという。最初はみな懐疑的だったが、最下位だったマインツは2部リーグのベストチームと評価されるまでになった。
戦力的に格上のチームにも勝利を重ねていった。リベロの撤廃とゾーンディフェンス。イタリアのアリゴ・サッキが標榜した哲学にインスパイアされたフランクは、間違いなくドイツサッカーのモダン化に大きな影響を及ぼした。
「フランクは唯一無二の監督だった」
当時、選手としてそんな変化を目の当たりにしたクロップもまた、体に雷が走るほどの衝撃を受けていたようだ。
「ひとつのフォーメーションがピッチの広さにどれだけ影響を与えることができるのか、それを示してくれた。僕らの目は開かれたよね。自分たちがボールを奪いたいところへ相手のパスを誘発する。あれは、ものすごくスリリングな時間だったよ」
戦術面に加え、人間としての在り方でもフランクがクロップに与えた影響は大きい。
「フランクは私のパーソナリティにものすごく影響を与えてくれた。とても親切な人で、唯一無二の監督だったよ。大きな声でディスカッションをしたこともある。それでも彼は普通の振る舞いとして、異なる考え方がある者同士でも意見を重ね合わせることができることを示してくれた。偉大な指導者で偉大な人間だった。彼の死去はサッカー界にとって本当に大きな損失だ。まだたくさん言わなければならないことがあったはずなのに」
2013年9月7日、フランクは脳腫瘍が原因で62歳の若さでこの世を去った。
昨年、クラブは70歳となるはずだった生誕日に「あなたなしに今のマインツはなかった」というメッセージとともに先駆者を偲んだ。