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明治大学「その男、絶対につき」~1990年・吉田義人~
<ラグビー名門大学の流儀>
posted2021/02/12 07:00

明大史上最高の主将と称される吉田義人。早大との大学選手権決勝では伝説の逆転トライを決めた
text by

藤島大Dai Fujishima
photograph by
Masato Daito
宿敵・早稲田との因縁の対決を制して、2年ぶりの大学日本一。「明治史上最高の主将」と称されるそのキャプテンシーは、果たしていかなるものだったのか。同期の戦友が激動の1年を回想する。
急にきつい仕事になった。ことに冷える午後には。スポーツ新聞の担当記者はいつか体に変調をきたすと覚悟した。
1990年度の明治大学ラグビー部。
東京都世田谷区八幡山の黒い土のグラウンド。練習が終わらない。午後1時、あるいは2時。そのころに始まるトレーニングは日没まで続いた。みんな、いつ授業へ通っていたのか。それは別のお話。
長時間の厳しい練習は好敵手の早稲田、慶應のいわば「定番」であった。楕円球の俊秀これでもかと集う明治は比べればずいぶん短く、八幡山の帰りには明るいうちに喫茶店でくつろげた。
あのシーズン。様変わりした。
春はましだった。まあ脚が棒になるくらい。秋が訪れ、しだいに寒さが増す。すーっと透明な鼻水を垂らして耐えた。ラグビー人気に従い、いつも3、4人はいた各社の取材者は肩を寄せて立ち続けた。競争しているのに同士のようだった。
誰を待つのか。キャプテンだ。
吉田義人。すでに日本代表のエース級のWTBであった。背番号は絶対に「11」。左の太ももには絶対に「青色のサポーター」。個人鍛錬を欠かさぬためにグラウンドを去るのは絶対に最後だ。ときにNHKの夜のニュースの始まるころ、ようやく話を聞けた。
あれは春先の某日。合宿所の玄関を背に新主将は言い切った。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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